コミュケーション能力は、バッターボックスに立った数「ハピペン」です。
2学期末、合唱・合奏の練習がとある学年で頻繁にあった時期でした。
突然感想をふられて何を語るか。そういうのを考える日々だった。
最終の感想として二つ挙げた。
- 合唱と合奏に共通するもの
- いきなり本番は可能か
合唱と合奏に共通するもの
書かないで問うたら「音楽!」と即答され、「さすが!」と思った。
私が言いたかったのは「合」ってこと。
「合わせる」って気持ちよさを一番味わわせられる教科が音楽だと聞いたことがある。
それを意識させなかったら「合わせる」意味を見つけるのは難しいように感じる。
なんでもいいから「合わせる」を感じられていたらいいなと思うと伝えた。
もちろん音楽的な言葉で感じられるようになってほしいけど、「合唱・合奏」をつくるにはもっと多様な合わせるがある。
- 楽器を運ぶのに力を合わせる
- 朝練で時間を合わせる
- 音楽を届けたい気持ちを合わせる
もちろん
- メロディを合わせる
- ハーモニーを合わせる
- リズムを合わせる
もあるだろう。
そんな風にいろいろな「合わせる」を感じることが学びだと思う。
まあ、「合わせる」ことに関して、満場一致で合っていたのは「体育館は寒い」ということだったが。
いきなり本番は可能か
練習の姿には、真剣な時もあれば、ゆるいときもある。ダラダラやっているときもあるし、片手間にやっているときもある。
なんとなくやって、素晴らしい本番を迎える。
よくあることだと思う。
そして、誉められる。こんなもんでいいんだ。大人はそれでしばらく機嫌よいんだから笑っちゃうよなという心境。
子どもが、大人のために合唱・合奏をしているケースだと思う。
あくまで「自分が」という「自分ごと」の「自分軸」で「合唱・合奏」と向き合っていってほしいなと思う。
練習の大事さ、価値を伝えたくて「いきなり本番は可能か」を伝えた。
いろんな練習があったと思うけど、練習なしで「オレは運がいいんで大体できます」とか「本番に強いんで」とかってあるか。と話した。
やっぱり練習って意味があるな、その中身次第でもっといいものをつくれるのかもしれない。
「練習って意味あるなあ」ってことを感じてくれていたらいいなあ。と伝えた。
振り返りで、はじめは休んでしまって分からなかったけど、本番にちゃんとできてよかったと言った子がいた。
休み明けに、みんなが進んでしまっていて、その時間泣きながら練習していた子だ。
「その辛い状態から立ち直れる力」こそ、今回の「合唱・合奏」から見つけた自分の中にある力だと感じて大切にしていってほしい。
最近浮かぶアーティストのアートな歌を書いて終わる。
誰かの言葉が気になるけど
背筋伸ばせたらそれでいいかな
笑い 泣き 怒り 喜んで
優しさを覚えていけばいい
君の手が描いていく光溢れる未来
隣で僕が居て 笑っていられたらいいな
不安はずっとあるだろう 涙も流れるだろう
でもねすべて僕らの内側で起こることだよ
流れたキョウにサヨナラ告げて 限りある未来を見つめよう
「イーゼル」(アンダーグラフ)
ジョン=ロックの浮かぶ歌だ。
生まれてってより、人はいつだって白紙で、それは脳の可塑性のことかな、って思うのだけど。
いつもここから!!