3:27まで起きちゃったよ。もう最悪。「ハピペン」です。
他者に人生捧げてんなーって人に出会う。
自分の人生全賭け。
他者に尽くす時間が自分の時間。
有名になりすぎちゃったYoutuberが、結局好き勝手はできなくなるようなイメージ。
信用を稼ぐほど、結果を残し続ければならず、自由度は減る可能性がある。
憂のない自分を自分として運用していく他なくなる。その善人らしき自分を楽しめるならその道も大歓迎だが、私は難しいなと思う。ゆらぎたくなってしまう。
意思が強くないのかな。人間だもの。
その上手くいかない人も包括できる自分でありたい。そう言って、免罪符を発行して行脚したいわけではないけど。
いろんな時がある。私は私の思うことをして生きたいと思ってしまうけど、それじゃ誰かの生きやすさを生み出せないのであれば、変える必要はあるのかもしれない。
ただし、仮にそれが、自分の外に正しさの規準ができあがるとしても、その自分を生きられるだろうか。
もはやマシーンじゃん。
それを選ぶって主体性だけが自己で、それを選ぶ自分、崇高だぜーって感じだろうか。
正に信用時代っぽいけど。
何を信じるか。
その対象が自分であってはいけない時代が来るんだろうか。
大きな物語が失われているから?
各々選択しなければならないのだろうか。規準を。
そんなことを考えると、自分の規準しか生きようとせず、他者の規準を利用してでも、多くを救おうとしない自分は。
自分は、めっちゃクズだなあって思えて。
自分のことしか考えてないんだよなあって。
何もかもその仇。
他者がどうしたらより良いか。
もっと考えて過ごす。
もっともっと考えて過ごす。
確かに外に規範があるのは強いなあと思うけども。
そうでなくて、どこまでいけるか。
一人ひとりの規準を人生として尊重して。
少しでもよりよく、許せるような。
「心一つに」「信じれば伝わる」「素直に表出する」というようなことも大切にして。
上手くいかなければ、それは、考えきれていない。総時間が足りないってことなんだ。
もっと尽くそうって思えたら。
目を見て誰かをほめられたら。
目の前の人を喜ばせることができたら。