かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

39日目:苦肉の策は……。

ホント日替わり……ハピペンです。

 

心の隅にこのツイートが残っていて。。。

 

村上隆氏に触発されて、授業やるには、授業の歴史を的な発想で、野口芳宏先生の本を買う。

 

名著復刻 授業で鍛える

名著復刻 授業で鍛える

 

昨日はズタボロになりながらも、家に着くとポストに本が届いていたので、一気に読む。

 

やっぱり、自分の弱いなあと思う視点が多々書かれていた。

しかし、昭和61年の本というだけあって、焼き直しされた知恵は雑誌や別の本で見たことがあるものだなあと思った。

そのオリジナルを見たという印象。

それでも、やはり、原典という力強さを感じた。

 

もっと、負担をかけていいのだと感じた。

そして、その負担は「できるようにさせて」拭えばいいのだった。(そりゃそーだ)。

 

私は、やたらに児童の負担を想起しすぎている。ほんとやたらだ。

もう少しタフにできてると、信じていい。

私はある意味で子どもを信じたいなさすぎるのかもしれない。

 

それが、反対に子どもを苦しめる。

子どもたちは、私に好かれたくてたまらないのだ、と今日実感する。

 

子どもたちは、私の用意した環境で楽しもうとしてみせる。楽しんでいる人もいる。

 

絶妙なバランスだなあと思う。

それはそれで、育つものがあると信じたい。

 

本を読んで、一つ大きな変化、目から鱗というかもはや「目ごと」、合わせて「めろこ」が落ちたという感じに学ばせてもらったのは、「発表しているときは、発表者を見ない」ということだった。

 

前に一度気にしていたことがあったが、すっかり、「傾聴!傾聴!」になっていて、疎かになっていた。

 

それだけで、子どもの姿が全然違うように感じた(見ていないとってのの良し悪しはあるとして)。

 

学びに向かうという姿勢を感じた。

 

昨日は本当にいろいろなことを考えていた。

明日の1H何を討つべきかだった。

  • いじめについて話すか
  • エンカウンターをやるか
  • 今週の目標を決めるか
  • いつもと変わらずの方がいいか
  • 席の並べ方を変えた方がいいか
  • 読み聞かせをするか

一番やりそうだったのは、

  • 「できない」自分を紙に書いて、ポイっと捨てさせ、今日から今から変わろう!変われるよ!

と励ますようなプログラムだったが、それはなくなり……。

 

自然にしたい話ができた。

「来たくなる学校にするにはどうしたらいいのか?」という話だ。

その話をしようと思えるきっかけに出会えたことを信じた。

 

きっかけ……それは、今日の朝。

 

学校の最寄り駅に着くと、改札を出たところで母にすがって泣いている女の子がいた。

附属の女の子なのではないか、と思う。

 

そういう時期なのだなあと思った。

どこまでも、なんとか耐え抜いてきて、いよいよ涙が出てしまうころなのだと思った。

 

そういう中で頑張ってくれている子がクラスにも何人かいるのだと思った。

 

いろいろな話から学校「きたい派ときたくない派」で意見を聞く機会があった。

 

面白いことに半々で、来たくないと思ったことがある・ないに分かれていた。

 

「そういうもんなのか……」と思った。

もっとみんな来たくないものだと思った。

 

そして、その泣いていた女の子に力を借りて、どうしたらその子は学校来たくなるだろう?って話もした。

 

みんなが来たくなる学校をつくっていこうね、と共通認識ができたと思う。

 

これは、朝「大空小・規律」で検索しまくった結果。

 

やっぱり、どんな子もいていいと思いたい。

ただし、共通のゴールがいる。

なんであれ「誰もが来たいって思える学校を自分たちでつくろうとすることが大事」だと思った。

 

そういうアンカーを打てたと思う。

 

そして、「苦肉の策」の話。

 

どうしても「できる」を感じさせたい私は、起立や気をつけを予告しまくってから言い放ち、一発でできる経験をさせて、「できるね!すごい!」を連発することにした。

 

正直アホみたいだが、「気をつけるための『気をつけ』を気をつけるための『気をつけを言からね!』という気をつけ」があるのだった。

 

ただ、いいような気がしている。

21日続けようと思う。

 

今日は、わりと生き残れた日。

 

そういえば伝説の板書も使った日だ。

【伝説の板書】自分ならどうするか。私を鍛えてくれた先生の話。 - かならず幸せになれるいきもの