かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「アドラー心理学」と「ブリーフセラピー」

走れば間に合う!車掌さんサンキュー!なハピペンです!!昨日の帰りは、ギリギリで乗車成功!!

 

毎日考えることで、ある日楽しいことに気づく。それが、つまらない日にも意味があると分からせてくれる。

 

昨日の朝、やっぱり「アドラー心理学(特に勇気付け)」と「ブリーフセラピー」は、相性がいい!と思った。

 

それを、整理したい。

 

理論面の共通点

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そっくりというか、もはやほぼ同じなような気もする。

 

特に「その他」は、中心となる考え。

あと、アドラーで言う「適切な側面」とブリーフセラピーの「リソース」が似ている。

 

住み分けのポイント

簡単な住み分けのポイントは、

 

アドラーは「アドラー心理学」。

「学」である。

 

ブリーフセラピーは、「心理療法」。

「法」である。

 

たとえば、ブリーフセラピーの「技法」のゴールをどんな方向にすることが望ましいか。

もちろんブリーフセラピーは、クライアントの中にある、すでに起こっている解決を生かして、よりよく過ごせることをねらう。

 

ただ、そのゴールの方向性のような大きい括りの理念に示唆をくれるのが、「アドラー心理『学』」だ。

 

「ブリーフセラピー」は、小さな解決(変化)によって、大きな変化を生み出す。

ただし、それはどんな方向に?

という問いの、最低ラインの判断を「アドラー心理学」が担ってくれる。

 

昨日の朝、電車の乗り換えをしているときに、そうか!そっちの手があったか!と思った。

 

要は、

  • 「問題を抱えているクライアント側」には「ブリーフセラピー」
  • 「課題があると考えられる対象の方」には「勇気付け」

が使えると思った。

 

「ブリーフセラピー」について

「ブリーフセラピー」は「困っている人」が対象で、その人はすでに「解決しよう」としている人、「よくなろう」としている人であって、解決はすでに、常に起こっていると考える。

問題があって困っているという人には「ブリーフセラピー」で、「何か変えろ」や「うまくいっていれば、それを続ける」を使って、解決を生み出す。

 

簡単に言うと「新しい振る舞いを見出し試してもらう」ってことだ。

 

ただし、これの難しさは、困っていない人に介入しにくいということだ。

世の中に困っていない人はいないとして、その困りにどう気づくかも大切になる。

「困ってもらう」と表現するとおかしな感じになるだろうけど。

 

「アドラー心理学」の「勇気付け」について

そして、反対に「問題だと考えられることをしてしまう側」は、別に「困っていない」ことがある(本当は困っている可能性大)。

そのため、こちらに「ブリーフセラピー」は使いにくい。

 

ところで「アドラー心理学」の肝は「感情コントロール」だと感じる。

 

「正の注目」と「負の注目」という考え方があり。

自分に負の感情があって注目をすれば、「負の注目」と言われる。

 

そして「目的論」をもとに「感情の目的」が示されている。

感情はツールであり、「相手」と「自分」にそれぞれ「〇〇させる」と「〇〇させない」という4種類の目的があるとされる。

 

ただし、感情による「させる」「させない」の解決は、「負の注目」になってしまう。こうした、悪影響を副作用として挙げている。

 

その副作用は、

  • 負の注目になってしまう
  • あなたがいないときに不適切な行動をする
  • 子どもが消極的になる
  • 関係の悪化

である。

 

そこで、「感情」以外の解決策が提案されている。

  1. 話し合い
  2. 妥協点を見つける
  3. 介入しない
  4. その他の解決策

この「4」と「ブリーフセラピー」の相性が抜群にいいと思われる。

 

少し話が戻って、アドラー心理学では、「正の注目(プラスの感情で注目すること)」が大切だとされる。

 

そのため問題行動の中でも「適切な側面」を見つけて、伝えることが求められる。

 

これが「勇気付け」の軸になる。「正の注目」と「適切な側面」を見つけること。

そして、これらは「ブリーフセラピー」における「コンプリメント」に似ている。

 

問題行動などの課題のある子には、アドラー心理学の視点をもちいて、勇気付を行い、解決策を考える際には、「ブリーフセラピー」的にユーモアのあるアイデアによって解決する可能性が高い。

 

違い

「ブリーフセラピー」は、解決したい人が自らを変え、対象を変化に導く。

 

「アドラー心理学」は「解決したい人」と「課題のある人」は、「共同の課題」をつくることで解決に向かう。場合によっては、介入せず、結末を体験させることもある。

またお願いによって解決することもある。

 

ただし、「ブリーフセラピー」においても、

「セカンドオーダー・サイバネティクス」という考えによって、セラピーの場では、共同して解決に取り組むものとされる。

最後に、宿題を出されて、介入策を実行するのがクライアントだけというところが違うだけで、課題を共有して解決策を考える点は似ている。

 

そもそも双方とも「解決志向」や「目的論」であることが似ている。

「共同体感覚」と「システム論」も似ているように思う。

 

対象の住み分けと、使い所の往還についてもう少し整理していきたいです。