かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

125日目:また少し子どもたちを好きになる日

とても素直に運動会を楽しめる子どもたちで驚いた。素直で。素直すぎた。

 

あと、ソーラン節に感動した。

 

運動会は大きい目で見ると、授業なんだけどお祭りみたいなもんだ。そして、チームとしての成長にフォーカスが当たると思う。

しかし、その中に一人ひとりのストーリーがある。その変化を追うことができるとかけがえのないイベントとして運動会は化ける。

 

一生の一部を変えるようなパワーをもっている。特に低学年にとっては、5・6年の本当に、本当に大変に立派な姿を見て、伸びたいという「憧れ」をもつことができる。

 

みんなで応援もたくさんした。

仲良くなった気分だった。

あの競技がしたい。いつか自分もソーラン節を踊りたい。組体操をもう一回見たい。そういう声をたくさん聞いた。運動会ってすごい。

 

今回、かけっこでビリになるのが嫌だと泣いて並ぼうとしない子がいた。いろいろ言って促して参加させる。案の定ビリ。しかも転んでしまってのビリ。最悪な気持ちに陥れられてしまった。

 

最後のリレーまでは応援席に戻れなかった。

席に戻って周りの子に「励ましてやって」と言った。すぐに「どうしたの?」と子どもたちが聞く。そうやって気にかけたり、話せる環境が有り難い。そして、かけっこのことを伝えた。

周りの子に「Aさんのイイネ!言ってくれない?」と言った。

「えーっとねー、えーっとねー、最後まで頑張った?!」

「そーだよね!それだよね!さすがだ!イイネしよう!」と言って「Aさんがら最後まで頑張って……せーの!!」

「イイネーーー!!!!👍」

とした。

 

そして、リレーを観戦する。

一つのチームが一周遅れになり、最後の走者は一人で一周を走った。しかし、もちろん拍手喝采であった。

 

それを一緒に見ていたので「あの6年どう思った?」と聞いた。「かっこよかった」と言った。「どうして?」と聞くと「最後まで走ったから」。「でしょ?それ誰かと一緒じゃない?」と言った。

 

すると、その子は「ビリで負けちゃったんだけど、自然とさわやかな気持ちだ」と笑顔でそれこそさわやかに言っていた。

 

負けたことを運が悪いと嘆きまくっていたが変わった。

 

おそらくリレーの選手にも個のストーリーがあっただろう。しかし、その個のストーリーがあるおかげで紡がれる温かいストーリーがある。それを間近で見られたことは本当に感謝だ。

 

子どもの姿から、他者を見て、自分が先に進もうとすること。成長するってそういうことだと学んだように思う。

 

あと、昨日道徳で云々だった子も、足くじいたと言っていたが、全力で走れたのだと思う。それもよし!