かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

懸念という懸念はなく【9週目が終わって】

地道にもほどがあるくらいなのかもしらないけど、ジリジリと進んではいるよ。いる。いると思うんだ。

 

発表の勢いがついてきた子がちらほらいる。手を挙げる子が増えた。

そう私の雰囲気が合っていて乗ってくれる2割がまず起点になるのだと思う。

そして、その他に誰が意見をもっているか。それもなんとなく見えている。

 

昨年よりは、成長したように思う。同じ人数を扱っているけれど、満遍なく話してもらっているような気がするのだ。

 

昨日面白い話を聞いたんだよなあ。

 

コンフォートゾーンの話

コンフォートゾーン、ストレッチゾーン、パニックゾーンの話を聞いた。

 

聞いていて、改めて、一人ひとりのコンフォートゾーン、ストレッチゾーン、パニックゾーンを意識してみるのはいいかもなあも思った。

 

例えば、「意見を言ってほしいなあ」って願いがあるときに、既に意見を言える子は、「意見を言う」というのがコンフォートゾーンであって、ストレッチゾーンにいっていないのではないか、ということ。

 

言わないことを選んでいる子は、「言うこと」がストレッチゾーンなのかもしれない。

 

ある地点に評価を置いていると、一人ひとりの行為に目がきちんと向いていないと思って、私は、意見を言えていることで、子どもの見方が止まってしまっていたかもしれない。

 

「意見を言える子」は、「意見を引き出すこと」をストレッチゾーンとして、次の段階を示せた方がよい。

 

理想をもう少し言葉にしてイメージしないと、子どもの育ちのストップ高を勝手につくってしまっていて、申し訳ないことになる。

 

話すことや伝えたいことをもう少し整理していかないとなあ。

特活、特に児童会について学んだ週だった。