疲れているなあ。
成績祭りだよ。
不安ではある。
まあ、やったことないことやってんだから、しゃーないね。
それでも、結局、不安を越えることができて。人はその居場所で、安心できるようになっていくのだろうね。
しゃーない、しゃーないで、過ぎるのを待とう。
泣きたくなる歌
琴線に触れる歌がたまにあって、泣ける。聴いているよりは、その言葉を口から出すと泣ける。いつの自分がそれに触れているかを考えて、いつかに置き去りにされた自分を思い返していた時期がある。
「ミサイルをぶちかましてえな」
グッドモーニングアメリカの名曲です。
「変わりぁらしないな、俺も、嫌いな部類の人間も」
結局、同じ穴の狢だと感じさせられる。
やっぱり、自分のせいで生きづらくなったんだと思わせられる。
そして
「昔はもっと世界素晴らしく見えたしな」
ここで泣きたくなる。確かにそうだったからだ。だから、これは「今」を奮い立たせる歌だ。
「大人になって卑屈になった自分を、きっと世界は映している」
ここが、名言中の名言。この歌詞によって、私はいろいろなことを自分側のせいにして考える癖がついたかもしれない。2012年度のことだ。
だって
「世界をもっと愛してたいんだ、あの頃のようにまた心から。笑ってたいな。憂いミサイルでぶち壊して。」
喜びが苦手な私は、この歌詞が滲む。確かに自分は心から笑いたいんだというニーズがあることに気づかされる。
「大人になって逃げ腰ばっか。」
そうそう。
「それでも、希望持ち続けられたら。」
そうなんすよ!辛いんすよ!弱音吐きてーんすよ!苦しいんすよ!
「それでも、希望持ち続けられたら。取り戻せるかな。素晴らしい世界を。取り戻せるかな。素晴らしい世界を。」
そこは諦めたくない!だから、自分だけは希望を持ち続けようと奮起する。最後まで倒れてやらない。譲らない。逃げない。って思う。
「シルエット」
自分にとって目からウロコのナラティヴセラピー的な歌。
「覚えてないことも、たくさんあっただろう。」
これが刺さる。
kana-boonがメジャーにいくまでの間に、自分では気がついていない、見えていない自分の影に含まっているような、応援があっただろうという歌。
これと、父との思い出が重なる。
そう、私は覚えていないだけで、それによって生かされている私はいるのかもしれないのだった。そう思わされた曲。私が負の記憶にフォーカスしてしまっているだけで、やっぱり「覚えてないこともたくさんあった」のだ。
「覚えてないことも。たくさんあっただろう。誰も。彼も。シルエット。」
世界終わらせないで
今を愛する歌。
生きたさのための歌。
「生きる歓び」がいい。
そして、それは、「見付ける」ものなんだよね。
「素晴らしき今日のはじまり」
生まれ変わるための歌。
GOOD ON THE REEL / 素晴らしき今日の始まり Music Video
「さあ、素晴らしき今日の。始まりです。」
「美しい日」
今を生きるための歌。
救いのための歌。
そのまんまだよなあ。
気がつこう。あるよ。
そんで、それ愛しかったら。
大切にすればいい。シンプルだ。
「シュプレヒコール〜世界が終わる前に〜」
unison square gardenの曲。
随分エゴイスティックなのだけれど。
「僕が言うべき言葉は僕しか知らないのに」、だから、黙っていてほしい。多少驕りなのだけれど。でも、やっぱり、私の言いたいことを言ってくれている人はいないから、「ここに立っている」。
「ああ。聞こえてる。聞こえてるんだよ。ありふれたそのフレーズも急かす星の囁きも。」
有象無象の声は聞こえている。でも、そこじゃない。業務に煽られるけど。でも、本質はそこじゃない。もしかしたら、他の人が自分の言いたいことを言うかもしれない。
でも「ああ。自分の声で届けたいから。」問題はここだ。自分は届けたいのかどうか。「届けられるか」は、その次でいい!いいから、「そこに立ちたいのか」が問いだ。
だから、「何度でも。何度でも。ここに立って。」諦めない。足掻く。這う。
「そして…あなたの名前を呼ばなくちゃ。」その名前を呼びたい誰かを助けたいのだ。
「世界が終わる前に」、終わるならもう仕方ない。ただ、終わらないなら。終わる前に名前を。
歌には、自分を取り戻す効果がなくはない。
素晴らしいよ。
急に音楽の話なのは、今朝、これを見たからなんだろうなあ。