かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「循環ではなく未来へのスパイラル」

始発で出勤。

 

中途半端に起きてしまったし、学校でやった方が効率の良いことが多そうだった。あれこれ考えるよりも、返すものの整理だけでも進めるとか、時間が惜しいので、何かをしていた方がよい。

 

珍しい朝には、珍しいことが付き物で、少なくとも7年ぶりに缶コーヒーを買った。こういうどうでもいい手続き記憶は長く残って、また遠い未来でノスタルジーを発揮しそうでよい。

 

この電車の雰囲気や缶コーヒーが頭をかすめるたびに彼らを思い出せるってことでもある。

 

ああ、やり残し。

コミュニケーションや関係の循環について語ろうと語ろうと思っていたが、ずっと先延ばしになって、おそらくお蔵入りになるだろうな、と思う。

 

そのためのとっかかりを用意しておけばよかったと後悔して、今朝になってループ系の絵本を買った。

 

循環を印象づけたい。次年度以降検討しよう。

もこ もこもこ (ぽっぽライブラリ みるみる絵本)

もこ もこもこ (ぽっぽライブラリ みるみる絵本)

 

 

ここに来て、急激に何かをやり残していないかが気になり2時台に目覚めてから、一気に頭の中のスキャンが巻き起こる。

 

 

学校。

 

 

ドタバタ。

 

 

……。

 

 

というわけで、終わり。

 

卒業式と若干の登校日を控えているものの終わり。

 

振り返って。

私は……担任としては機能していただろうと思う。それなら、それで、十分なんだけど。気遣われるような、思いやられるような、よい先生。では、なかったのだろうな、と思う。

 

子どもたちに、私から去ることへの躊躇がない。それは、それでいいか。なんか、それだけ、「私が」彼らに関与していなかったのかな。とも思ってしまう。「私が」優しくなかったのではないか。とも思う。担任ってもっと入り込んで、残って、それが糧で、もっとその先でも生きて、子どもたちを育んでいくだろうか。面倒見のよさとか、口うるさく言われたりとかの温かみを引き継いでいくんだろうか。私にはそれがなかったのかもなあ。

 

子どもたちの中に私はいないな。と思う。

少なくとも今のあの子たちに必要な私はいない。

 

私の最高学年観が少し塗り変わるというか。

もっと幼い部分を見てやってよかったってことだ。一緒に遊ばれたい、表現が適当でないだろうけど弄ばれたい年頃なのだなと思う。もちろん、目の前の実態に応じてって話だけれど。今年は実態に応じ切れていなかったところがあるのだろうなと思う。

 

感謝ってするものではなくて、したくなるものだもんなあ。うまくそれを引き出せなくて悔しいかな。そもそも、本気で私が感謝をできていない。だから、泣けそうで泣けない。泣けるとしたらその伝えられなさ、伝わらなさにだ。虚しいね。心が通い合わなかった。基本子どもとの別れで、そもそも泣かないってのもあるけれど。

 

まあ、いろいろ放り込んだから。

1mmでも、何かの足しになっているといいな。

 

とはいえ、お家の方にはもってもらってよかったと言われもする。子どもに出現する行為だけを見ると落第点なのかな。なんて思うけれど、たぶん、どうしたって、確かにそれはそれで、私がそこにいる今はあったのだと思う。もっと、私個人的なことかもしれないし、この先の人生的なことかもしれないし。価値のたくさんある。お互いにとって、埋蔵金のような時間であることを願う(やぶれかぶれの賭けすぎるかもしれない。情けないが)。

 

私は心のどこかで、心を許していなかったかな。「冷たさ」(周りの冷たさや自分の中にある冷たさというもの)に屈してしまったかな。

 

届く人には届いた。捨てる神あれば拾う神だった。でも、それでは、どこか足りなかった。そんなことを思う。

 

でも、全部。「何もできなかったよなあ」みたいな、いつも「何もできない」と、グルグル回っているように感じてしまうが。そのグルグルは、単に循環ではなく、スパイラルなのかもしれない。「同じ」であって「同じでない」。循環ではなく、未来へのスパイラルなのかもしれない。朝、それが聴きたくなって、それを聴いてピンと来た。

 

あれもこれも「循環ではなく未来へのスパイラル」ってことで、片付けてしまうことにしよう。

未来へのスパイラル(初回盤)

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未来へのスパイラル

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