かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

お暇とお祝い④

午前はお暇。昨日1:30まで、漫画喫茶にいてしまったわりには、きちんと6:00に起きて、支度をして家を出られた。7:00から喫茶店でのおしゃべりタイム。今日は初の試みもあって、歩きながらの時間も取り入れた。歩きながら「人は歩きたい道を選べるということ」「その道で出会う自分がその道を歩くことを望んでいるということ」が思い浮かんだ。会いたい自分がそこにいるから、見てほしい自分がいるから、人はその道を選ぶのかなと。その後に見たススキが風に揺れていて、そよそよだった。ああいう風に、揺れるなら揺れる、揺れないなら揺れない。流されるわけでもなく、その時に受け取りうる学びを、恵みのようなものを享受して生きていきたい。お昼を食べることもできるということで、駅前の中華料理屋へ入った。中華料理屋で「やきそば」を頼むことがマイブームなため。店員さんがあんま美味しくないけどいいの?と言ってしまうようなやきそばは、確かにどちらかというと特異な感じはなかった。隠し味に醤油を入れるからねと言っていた。餃子がおいしく、何故か手作りのようかんも出される不思議ないお店だった。何より店員さんが不思議で、表も裏もない、中も外もない、今時珍しすぎる気遣い、そして、独り言だか会話だから分からない語り。まるでコントに巻き込まれたような店だった。ずっと笑ってしまった。人間ってどこまでも面白いってことを思い知らされた体験だった。まだまだどこまでも人々は未知だ。

 

夜は「お祝い④」だった。時間を間違えて1時間遅れてしまった。まあ面白いからよい。捨てる神あれば拾う神ありと思わされる昨年とのつながり。ストーリーは続く。ここにしかないコミュニケーションがあり、自分も鍛えられるなあと思う。不思議な場所で、積極的に参画して、何かを学んで、ためになって、明日の力になってというような場所ではないのだけど、だからこそ、自分の予測できないところで息づいている何かがあり、その「なんでもない」緩やかなつながりが愛おしい。なんの利害もなく、そこにいられるって、とても不思議だ。でも、そこに人の本質の一端があるような気がする。なんでもなくとも、なんとなくいようと思って、そこにいられるって素敵だ。何も突きつけられないってよさかな。久しぶりにハイボールを飲んでしまったから、明日辛いかもなあ。