かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

3時起き、あいさつ、氣

変なサイクルに入ったハピペンです。確変突入?2:40くらいに、はっと起きて置きっぱなしです。若干朝の湯船で目を閉じてうとうとしているが、朝がんばって、インプットの時間にしています。こつこつと「株の話」を終わらせようって感じです。任天堂ショップが開くってことで、任天堂株なんか買えたらいいなあと思うが、高くてそこには注ぎ込めない。でも、ぐいぐい上がるんじゃないかと思う。スマブラのダウンロードファイターの発表と合わせても上がり下がりあるんじゃないかなあ、なんて思ったり。

 

他には、U理論。こちらもちょっとずつ。

「創造すること」と「問題を処理すること」の根本的な違いは簡単である。問題を処理する場合、私たちは「望んでいないこと」を取り除こうとする。

一方、創造する場合は、「本当に大切にしていること」を存在させようとする。これ以上に根本的な違いはほとんどない。

響く。「大切なこと」の方に焦点を当てたいね。

 

そんなわけで、あいさつの取り組みを始めてみる。これまで、挨拶の指導を一切してこなかったが、やっぱり、ここに来て、その一丁目一番地なくして、関係はよくならないのではないか、ということを思い始めた。今日はその指導を入れた。

あいさつを気にしたのは、この本の冒頭であいさつが話題になっていたため。

「氣」が人を育てる - 子どもや部下の能力を最大限に引き出す教育とは - (ワニブックスPLUS新書)

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明日も「氣」を合わせて、挨拶するってことを意識させてみよう。今日、稽古に行くのは気が重いが、それも、不登校の子はこんな気分なんだろうなあと思いながら、それこそ、それと向き合うことが稽古だと思って、頑張ってみる。その連続の先で何か分かることがあるかもしれない。

 

ところで「氣」は、個人的には「ペーシング」に似ていると思う。そういう感覚で、氣を意識してみる。氣が通うと面談も好転する気がする。たと「氣」は株にも似ていて、こちらが消耗しっぱなしだと底を突く。どこかからいただかないと、こちらも出資できない。誰かの保有していた価値が乗っかって、巡り巡ってくる感じが似ているなあ。誰かの思いが含まれていたものを引き継ぐという感じも。

じゃあ、それはどう循環するか。その中に、自然も入っているのだと思う。どうしたって私たちのエネルギーは、宇宙の一部として循環しているのではないか、と思うからだ。

だから、少しでも自然と氣を通わせたり、つながりを感じられれば、回復できるものもあるのかもしれない。「氣が通う」とは、本当に心地よい状態のことだ。ああ、有り難い。

 

「氣が通う」や「氣が滞る」という感覚の話は面白い。その違いで、一日が変わると思ってしまう。もはやなんでも「氣」次第なんじゃないかってくらいに。

 

まあ妙な仕草を潰すっていうのが、定説だが、学ぶのはオレじゃないなんて思って、保留にしていくこと。それと、お前らどういう神経してんの、とあるのだが……。今日は、お祭りの前日準備だった。盛大に体育館なんかを借りちゃって大したもん……でもある。

ほぼ全然肩入れせずとも、各々3グループがやっているようなのでよい。

10月半ばからここまで、あんまりだよとか、散々だなあとかいろいろあるのだけれど、物語は帰結していくようである。人を信じて正しい振る舞いをした人に少しでもやり抜いて良かったと体験させられるといいなあ。

そんな風に見守っている結果、私がしたいことはできない!というところもあるが、それでもいいんだろうなあ。最近本当に考えれば考えるほど「それは自分がしたいに過ぎないんじゃないの?」って思うことばかりだ。その信仰が教育なのだから仕方ないが。

 

それに、全体で動けば「2:6:2」の法則に抗えないところもあるだろうって思う。その中でどれになりたいか。2か6か。2なら、どっちのか。

 

そこにおいて、その子はそれなのだから、それ以上のそれでないことも難しいのかもしれない。