かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

Think money,Think life.

マザー・テレサは、「私の仕事を知ることが、私を知る方法です。私は私の仕事なのです」と言いました。

p56

とある。

 

「どんな人か?」よりも「何を成したか?」というところだろうか。

 

「どう在るか」よりも「何をやるか」というのにも近いだろうか。

 

最近は(今年度は特に)「在る」が「成す」にもつながっているという文脈を好んでいて、これは、やはり、両輪なのだろうな、と思う。

 

私は10月末くらいによく言っていたことがあって、それもやっぱり、この「在る」と「成す」とか、「居る」と「する」とかに関連しているのだと思った。

私が言っていたのは「あることに課題を感じたとして、何かをする。ただ、その処方箋が相応しいかは分からなくって難しい」ということだった。

 

そのマッチング力と選択肢の量によって、教師が担えるものが違うし、その眼こそ教師の専門性だろうと思う。そのための眼を養うことやネタを手に入れる研鑽する意思やコストをかけようという思いも力量に入る。

 

「両輪」ということにもう少し触れると、「在る」と「成す」は分離したものではなくて、「在ることで成していることもある」し、「成すことで在ることもある」ということだ。

 

コンテンツ王であればいいわけではないし、在り方が他の人にとって心地よければいいというわけではない。

 

出発点は「在る」でも「成す」でもいいとして、向かう先は学習指導要領であり、子どもたちの最善の利益ということで、そこはブレなければいい(改めて「利益」という言葉が気になるけれど。ここでいう利益。価値化されているものは、一体なんなのだろうか。ここを考えることこそ最善の利益なのかもしれない)。

 

そして、

すべての仕事は、「それは完全に解決できる」と確信しているとき、あなたのより深い部分から行動することができます。

これも深い。「思った通りにやったらいい」と合氣道のお稽古で教わった。そのトライ&エラーに常に学びがあるということ。ただし、その時にただやるのではなくて、落ち着いて静まった状態で考えることは大切とのことだった。技もそう。

 

「『なんとなくやる』っていうのもない」と言っていた。「『氣を入れて』行う」ということ。それが恐らく「これでいこう」とか、「これをやる」とか、「これがいい」とかいう、上で言う「確信」なのだろうと思う。

 

その時、「完全に解決できる」と思う時の行動と、「うーん?これでいいかなあ、どうだろう」と思いながらの行動では恐らく「解決」の物語が変わってくる。

やるなら、「よし!もうこれでいってみよう!」と心を決めたり、開き直ったり、潔く行動に移った方が氣が入り、その瞬間の確信として行動ができ、良い解決につながるのではないか、と思う。

 

その「確信」(本の中では「魂のこもったコミットメント」)の下で、「自分のお金」に焦点をあてるとき、「自分とお金との関係」は、変容を起こすとのこと。

 

どのように稼ぐか、どのように貯金するか、どのように使うか、あるいはどのように投資するか

p65

つまり、改めて感覚として言葉として「お金を手段化する」ことができるということだろうと思う。

 

この消費社会の中で、当たり前にしていることは、自分の人生の命題、目的、目標に適っているか、という「眼(メタの視点)」を手に入れることができるということだ。

 

ブリーフ的に見ると、こんな悪循環を描くことができる。

  • ある「もの」の不足→消費で入手→消費で失ったものを得る

このループを、「不足しているのか」という問いで断つ、消費に対する見方で断つ、失っているのではなく向かっていると捉えて断つ。この3つの断つ視点があって、この本は刺激的なのだと思う。

循環は、

  • 不足していない→消費は叶えたい未来へのギブである→消費失うことではなく世界の中の自分を位置付け再認識していく

というループに移る。

 

それが、「自分とお金との関係」を見ることで起こるということだ。自分は何にお金を使っているのか、もしくは、使ってしまっているのか。何を繁栄させているのか。

これは、時間も同じで、要は自分は何にコストをかけているのか。

 

ブリーフでいうと「解決が問題である」ということにもつながり、

  • コストを「それ」に使うことは「自分を幸せにすること」につながっているのか

という問いになる。誰も幸せにならないことにお金や時間をかけるのでは、みんなが不足主義に呑み込まれてしまうのも仕方ない。不足したと思い込んだ分を他から奪って奪って奪っていけば、一番奪えない人が奪われて終わりである。それが、格差で、未だに苦しんでいる人がいる原因で、貧困を生んでいるのではないか、と思う。

人は奪わなくても幸せになれる。「それなりにあなたらしい未来は平等に誰のもとにも訪れる」し、「誰のもとにも訪れなければならない」はずにもかかわらず、途中で奪取するという横槍が入るか駄々崩れているのが今(ということにしておいてみる)。

 

お金の消費は、確信(コミットメント、自分の人生の目的や意味)の表現であるとすれば、

その人がどれだけの金額でコミットメントを表現したかは、問題ではないのです。それは、自分とお金との関係性において、自分の存在を再認識するという行動、そして、「お金という媒体」を通して行われる、「魂の表現」なのです。

P65

この辺りが面白い。この視点によって、人に変容が起こり得る。

人が学習Ⅱによって、無意識に手に入れてしまっている行動たち。

消費=時間とお金をロスすること。

これをどう考えて行なっているか、どう感じて行なっているか、無意識化している日常の行動に視点のメスを入れることで、場や人を支配している枠組み(論理階型、学習Ⅱ)を越えて、別のルールに移行することができる(可能性がある)。

お金に関する手段の目的化を、手段から目的に(パラダイムシフト)できるってわけだ。

 

大きく括れば私たちには「お金と時間」しかないわけで、それにどういう意味を持たせて、人生を歩んでいくのかは、わくわくする視点だ。そして、既にそれは生まれてからずっとしているわけで、その消費の仕方を見つめることは、これまでの自分史や自分の現在地を確かめることにつながる。「自分のしてしまっていること」に「自分のしたいこと」や「自分のしたくないこと」は含まっているはずであり、「自分のしてしまっていること」から、「自分の展望」を紡ぐことが可能だろう思う。

 

ここに、U理論的に「内側から沸いてくるもの」も関与しているだろうから、この本による変容は、弱くないのだろうと思う。「自分とお金との関係」を改めて俯瞰することって、人生にとって有用なのだなと思わされる。

 

まんまと、65ページで、『ソウルオブマネー』に飲み込まれてしまっているわけだ。この先どう展開していくのか楽しみ。

人類最大の秘密の扉を開く ソウル・オブ・マネー 世界をまるっきり変えてしまう<<お金とあなたとの関係>

人類最大の秘密の扉を開く ソウル・オブ・マネー 世界をまるっきり変えてしまう<<お金とあなたとの関係>

 

 

日中としては……寒いし……「けっ」て思う日。ふんふん。ああ、寒い。