かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

変な寝起きをしてしまった日

かつ、寒い。冷えるなあ。

 

1:30起き、流石にまずいと4:30に寝て、6:50に起きる。あーあ。

 

最近、事の初めに必要なことは「観察」なのだなということを知る機会が多い。ブリーフも、U理論も、合氣道も。これは、自然に起こっていることも多いし、無意識だから忘れることもある。アセスメントもここに入るだろう。

 

「観察」の大切さから、異動一年目は、なぜ黙っていた方がいいのかも説明できる。まず、こちら側として、観察をして、その職場で起こっていることを理解する必要があるからだ。相手の文脈を抜きにして、こちらの考えや思いを伝えるのでは、伝えたいことが伝わりにくいだろう。次に、反対に、こちらは「観察される側」ということだ。意識的にも無意識的にもこちらは、観察される対象なので、出過ぎた真似はしない方がいい、ということになる。何かと見られてしまい、一挙手一投足、何か意に反すると介入される可能性が高い。観察されるからこそ、観察するという関係が強いのが一年目だと思う。だから、出来るだけ当たり障り無い方が好まれる。「私は無害ですよ」と両手を挙げていた方がよい。そんなの気にしないって人もいくらでもいて、「自分」でいることができる人もいる。それはそれで、ひがみの対象になることもある。そして、これらは、ある程度年齢が上がると回避できるものでもある。観察して何かに気づいたところで、言いようがないから、観察するエネルギーが無駄になるからだと思う。だからって黙っていられるなら、苦労はないなあ。その辺りの市民権を得るには、結局、授業と学級経営で結果を出すしかない。そのしょーもない重石も相当うざったいのだけれど。

 

『ソウル・オブ・マネー』がよい

スピリチュアル的というか、直感的というか、感じたことがベースだが、それ故に論理階型を越えた見方(学習Ⅱ?を越えた見方)がされている。

 

リンがマザー・テレサに会った際に、横柄な来客があって、とても悲しかったそうだ。しかし、帰りの途中で

私はいかに憎しみと偏見によって自分を貶めてしまったかに気づいて、そのことを強く恥じました。

思い返せば、マザー・テレサは、あの裕福な夫婦に対して、何の問題も持っていなかったのです。

フライイングしないことの、寛容さの大切さを学べる箇所。憎しみと偏見が落ち着きを奪って、氣が滞る。それに気がついて持ち直していてすごい。

 

そして、貧困だけでなく、富裕についても悪循環があることが語られる。マザー・テレサは、

「あなたは、彼らに対してもハートをオープンにしなければなりません。そうして彼らの生徒となると同時に、教師にもなるのです。

あなたの思いやりを拡大して、彼らをも含めることです。これが、あなたのライフワークのとても大切なポイントですよ。彼らを締め出してはならないのです。彼らもまた、あなたの仕事です。

仕事とは、悪循環を自らの介入で断つことについて。

思いやりの拡大とは、視野を広げてメタ的な位置にもってくること。

そして、生徒にも教師にもというのは、セカンドオーダーサイバネティクス的な視点の話だ。

 

また、「無いもの」に焦点を当てすぎてはいないか。

「充分な時間がない」「充分な休息がない」「充分に運動していない」「充分な利益がない」「充分な自由がない」「充分な週末がない」そして、言うまでもなく、「充分なお金がない」

そんだけ不足を掲げて、一体自分は何がしたいんだろうか、と思う。

 

人生に関する慢性的な「不十分」という感覚は、世界において自分が考え、行動する、ベースとなってしまっています。

インストールしてしまった、学び。学習Ⅱが、人生のパターンとして刷り込まれている。それでうまくいかないなら、そこから脱する考えがいる。

 

この「欠乏の思い込み」こそが、私たちの嫉妬と偏見、そして人生との分離を生み出す中心となります。

ただし、

欠乏は、自然にも、もともとの人間の性質にも存在しない

後付けされた価値観ということだ。つまり、人間本来的には、必要のない感覚なわけだ。

 

とりあえず以上。

人類最大の秘密の扉を開く ソウル・オブ・マネー 世界をまるっきり変えてしまう<<お金とあなたとの関係>

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退勤が、二日連続で、19:00だ。よくない。不健康だ。うーん。