かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

自立と退院と

なぜ人は歩くかといえば、憧れだと本で見たことがある。

 

そうして自立していく。親は自立の手伝いをしていく。それは、実際を手を添えることもあれば、見守るという時もある。たとえば、寝返りを手伝ってはならないというよな、その子のための作法もある。ややこしい。

 

赤ちゃんを見ていて思うのは、自立のために、無力でないことということだ。それを知る必要がある。ちょうど、『ソウル・オブ・マネー』にあることと一致する。慈善活動での介入の仕方を間違えると、彼らの解決する力を奪ってしまうことがある。だから、共に解決策を探って手助けする方が好ましい。物やお金を与える支援は、彼らに物やお金のもらい方を教えてしまう。悲惨な現状を訴える写真を撮ること、ゆえに、悲惨な状態をいかに作るかなんて方に、解決が走っていってしまうこともあるのだ。

 

 

話を戻すと、とりあえずは、その「個」のしたいことと、その「個」のされたいことをすることを目指す。

 

赤ちゃんは、リスクヘッジの塊だと見ていて思う。

 

まず「睡眠」で、これは、赤ちゃんのメインの活動。ほとんど寝ている。個人的には「生まれる」というインパクトのストレスを回復しているようにも見える(脳を発達させているのと、体力回復がメインだろうけど)。

 

次に「自分がある」ということ、もはや「快・不快」の主体しかない。嫌なら嫌だし嫌じゃなきゃ嫌じゃない。若干、本能に勝てないというのもある。泣いても、おっぱいを口に付けられると反射させられてしまう……みたいな。

 

最後に「学習者」であるということ。常に探求しているし、試している。泣く間隔、目や頭や手を動かす、抱かれることを味わう。刺激を一つ一つ体験して、適応していくように見える。1日目より2日目、2日目よりも3日目という風に、この世界を把握していっているようである。もう用水には戻れないということを、受け入れたようにも見える。意外と面白いよってことを念で送りつつ、意外と面白いって感じていってほしい。生まれて出会えたってのが、出会えないよりステキだと思ってほしい。自分の居心地のよさ以上に、出会えるって楽しさを味わわせたいね。

 

この子の意志を感じる。それを見て、私は希望しか感じない。

 

朝はタリーズに行って、『ソウル・オブ・マネー』を読み終えた。最後の章の一つ前が実に感動的である。死ぬってことについて考えた。生き残りたいが、ふとしたタイミングで人は去ってしまうこともある。タリーズで売っている絵本で気になったものがあり、それもよかった。買った。

 

そして、病院へ。今日で退院。おめでと〜!!午前中、校長が会いに来た。

 

親が迎えにきてくれて、お寿司を用意してくれていた。午後は役所に行く。いよいよ名前も決まる。夕飯も親が作ってくれました。よかった。あっという間に、一日が終わる。子も奥さんも元気で嬉しい。