やばいやばい。
こんなつまらない授業ある?っていうような、クソつまらない授業をしてしまった。プンスカとかではなく、ボールが来て振っているのだけれど、スーンというような。
算数、盛り上がらん。まあ、そういう日もあるか。
子どもが生まれて出す書類
たーんとあって詰む。
誰を扶養して、何が必要で、どこに何を出すのか混乱する。
まあ、とりあえず済んだ。
ハイタッチする職員を目指して
挨拶を廊下で。職員が頑張ること。
ハイタッチするくらいの。明るい挨拶をし合う職員。するとどうなるだろうか。頑張っていこう!テンション高めで!!
なんだか、新年になって、周りの目が変わるというか、少しだけ居やすくなったかもしれない。
今日は、「未知へ」の音読が楽しくできたからよかった。
昨日のピヨ子
お風呂が「シャワーでいんでない?」と妻が言うから、シャワーにしてみたら、めちゃ顔に跳ねて嫌そうだった。にもかかわらず、唇についた水しぶきに、ぺろっと舌が出てきて可愛くて面白かった。
ハピペンの近況
今日は空きがあったので、昨日の夜は一緒に寝ました。二日間仕事に出たら、ピヨ子さんと過ごしたい衝動があった。妻とピヨ子さんが好きだなあ。
ハピペンが理解されるのは、11月を過ぎた頃である。いることを仕方ないと思ってもらうのが9月ごろ。これらが周りからも透けて見えてくるのが1月ごろだろうか。一昨日、だいぶ周りの人もハピペンがどんな人か分から始めたんじゃない?と言われた。三年連続で異動して一年目を繰り返したので、そういうもんだというのが受け入れられるが。
分かりやすい人でいたいなあ。
でも、分かりにくい人を分かろうとしなかった人たち。自分が分かりにくい人であると気づいていない人たちが、ハピペンを遠ざけていると思う。分かろうとする人たちは、分かってくれる。
年度末反省という名の事業仕分けがだんだんと行われていく頃だと思う。ハピペンは、いろいろな子がいろいろな事情で存在している中で、「ずるい」というワードが出てくる思いを巡らせられない子どもたちが気になった。
自己責任的な注意であったり、一方的であったり、強制されていたり、権力で指導することが多いと圧力が高まって、不満が出ると思う。ある日、ある人から受けた不満の蓄積がループする。お家が穏やかな子はいいが、そうでない子が、不満を漏らす。それが、見えにくいところで流布されていく。
考え方の違いなのだ。特段、教師の。
教師が別の考えを流布する側に立って、関わり方を変えれば、関係が少し変われば、もしくは、関係の見方が変われば、子どもの見方が変われば、高学年になるころには、優しい見方もできるようになるはずである。
なので「インクルーシブ教育の推進」のために支援級理解の授業を打っていくということを書いた。それは、通りそうだったので嬉しい。
優しくなさ。自分から動かなさ(言われなきゃ動かなさ)。トータル、気がつかなさ。気になるなあ。
ああ、あと、ふと。学校と他機関の連携は、なぜいるのかというと、それは、学校が大変だからなどではなくて。学校は解決できないからなんだってことを忘れないでおこーっと。