かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

006|「私は」と「強者の理論」

なんとなく、生けすかない気持ちでいる。

 

「『私は』適当に、なんとなく、思いつきで、臨機応変に、その場のノリでやっちゃうので」

 

それでいいか。

 

迷うところだなあ。

 

でも、まあ、そうなんだろうなあ。

 

たとえば、「私は」失敗を恐れて、入念なのだろうか。

 

ああ、そこかなあ。

 

私は。「私は」で、人質にとったようにあまり責めたくないなあ。「私は!」から滲む選択肢のなさ。虚しいなあ。

 

まあ、結局、状況に応じて、孤軍奮闘しつつ、シェアできるものは、タイミングによって、運良くシェアされ、もう自分でやっていくしかないよ!頑張って!となるしかないってことなんだろうなあ。

 

腹を括ろう。

 

 

分からない。

ヤバイ。

ピンチ。

 

だとしたら、それはそれで、己で立ち回れってことなんだろうね。そういう仕事の中にいる。

もしくは、上の解釈に従って、その流れに乗っていく他ないわけだ。私が理解できるようになんてことはなく、それは「やらされていく」のだろうね。

 

「所属意識」とは面白いものだなあと思う。所属したさ。所属はどうすると担保されるのか。分からないけれど、そこは辛辣で、私はそこが上手くない。所属したさって謎だ。