なんとなく、生けすかない気持ちでいる。
「『私は』適当に、なんとなく、思いつきで、臨機応変に、その場のノリでやっちゃうので」
それでいいか。
迷うところだなあ。
でも、まあ、そうなんだろうなあ。
たとえば、「私は」失敗を恐れて、入念なのだろうか。
ああ、そこかなあ。
私は。「私は」で、人質にとったようにあまり責めたくないなあ。「私は!」から滲む選択肢のなさ。虚しいなあ。
まあ、結局、状況に応じて、孤軍奮闘しつつ、シェアできるものは、タイミングによって、運良くシェアされ、もう自分でやっていくしかないよ!頑張って!となるしかないってことなんだろうなあ。
腹を括ろう。
分からない。
ヤバイ。
ピンチ。
だとしたら、それはそれで、己で立ち回れってことなんだろうね。そういう仕事の中にいる。
もしくは、上の解釈に従って、その流れに乗っていく他ないわけだ。私が理解できるようになんてことはなく、それは「やらされていく」のだろうね。
「所属意識」とは面白いものだなあと思う。所属したさ。所属はどうすると担保されるのか。分からないけれど、そこは辛辣で、私はそこが上手くない。所属したさって謎だ。