かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

012|今、何を考えていれば正しいのか

「仕事先」という場所の温度は面白いものである。今、目の前に懸命である。していることの良し悪しに、いくつもの物差しをあてがうことができるにも関わらず、一種類で測っているから見えないことがある。

 

ある正義がある正義と、ぶつからないまでも、ある正義に盲目になって、本当にそれの方が優先されるべきかも分からない中、それをすることになる。その妥当性は、みんなで頑張って考えたということで担保される。

 

たとえば、感染に十分気をつけた上で、教科書を配付するということ。感染に十分気をつけた上で。これに口を挟めば、言い合いになって、最後には「だって憲法で」的な話になり、年長者か声が大きい人によって、どんな思いもかき消されるのだろうなと思う。

 

教師として、学びに関する責任を果たすことが、最前の命題なわけだ。

 

ただ、帰り道にyahooを開いて、久しぶりになんだかもう本当に暗い気分になって、言葉が出てこなくなった。

 

たぶん落差だと思うんだよね。

なんか必死になって、個人面談の予定表を組んだり、評価のことを話したり、わーわーと自分たちの仕事に時間を注いでいて、でもそんなの全くの空虚かもしれなくて。

 

亡くなる人は亡くなっていて、苦しんでいる人は苦しんでいて、お金や仕事で困っている人もいて、それなのに今必要のないことをやっているような。そのために、感染のリスクを負っているというような。大切な誰かに迷惑をかけてしまうかもしれないような。ニヒリズム。

 

 

なんだろうなあ。ただ、平和に暮らしていたいだけなのにね。