言語化できない頭の重たさの名前がストレス以外に思い浮かばず。
ストレスを解決したい気持ちが強まった。コロナ禍におけるストレス。コロレスをなんとかせねば。
まず、この本を見た。
益軒は医師であると共に儒学者であり、博物学者であり、また紀行文作家でもあった。彼の夥しい著作のうち最もよく知られているのが『養生訓』である。この中では健康を保つための心得が懇切丁寧に説かれており、今日でも有益である。『養生訓』で繰り返し強調されているのは、心の平静を保つことである。以下に『養生訓』の中の記述を原文のまま引用しよう。
「養生の術は先心気を養ふべし。心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、をすくなくし、心をくるしめず、気をそこなはず。是心気を養ふ要道なり」。
これは今日の言葉でいえば、健康を保つには精神的ストレスをなくすことが必要である、ということに他ならない。
ドイツの医師フーフェラントは『長寿学』という書物を出版した。これが西欧で最初の、健康を保つ方法の解説書である。フーフェラントはワイマールの宮廷に仕え、ゲーテやシラーと親交があった。彼はこの著書の終わりに次のように言っている。「われわれの先祖は、祈れ、そして働け、という格言を生活の規範としてきたが、これは永遠の真理である。心に平和を持ち、外に向かって有益なはたらきをすることが、あらゆる幸福の、あらゆる健康の、そしてあらゆる長寿の、唯一の秘訣である」。
この有害な、大脳皮質と自律神経中枢の神経連絡路は、それが精神的ストレスを思い悩む大脳皮質の精神活動により、「眠っていた」回路が呼びさまされてできるものである以上、逆に大脳皮質の意志の力で、もとの「眠った」状態に引き戻すことが可能なはずである。
筆者の実父、杉靖三郎は福井県の永平寺で、座禅中の僧侶の脳波記録を試みた。
興味深いことに、長年座禅の修行を積んだ僧侶では、座禅に入ると間もなく、それ
まで記録されていた覚醒時の脳波が急に深い睡眠時の脳波に変化し、座禅を続けている間この脳波が保たれたのである。
修行を積んだ僧侶が、目覚めた状態にあるにもかかわらず、大脳皮質にある天文学的な数のニューロンの活動を意志の力でコントロールできることは驚くべきことである。
ああ、瞑想かあ、と思って。
この本とも瞑想が繋がるなあと思った。
この本の影響で、朝瞑想をするようになった。20分というコストがかかるが、それ以来、偶然だろうけれど、なんとなく仕事中のイライラが減った気がする。願掛けやプラセボ以上のものではないと思うけれど、「うまくいっていることは続けよ」というブリーフセラピー精神に則って、続けようと思った。
使っている音声はこれです。
この指示的かつ怪しいのが、自分にとって面白味というか、モチベーションなって、続けられている。
調子によって全然集中できないということにも気がつき、ボディスキャン的な使い方で、その日の自分を測るのにも役立っている。
(今は、このアプリで「Sunny Sea Ocean Sleep Sounds」をApp Storeで波の音を聞いて10分目を閉じるに変更しました。5/23〜)
そして、同時に『最高の体調』という本も見ていたら、「ACT(アクセプト&コミットメントセラピー)」というのが載っていた。
前に友達からも聴いたし、最近ツイッターでも目に留まっていたので、見てみた。
「自分探し×マインドフルネス×ACT」ということで、完全に私のニーズに応えているような本だと思って見てみた。
マインドフルネスの項に、瞑想について仏教方面から説明がなされていた。
ブッダが説いた経典の一つに『呼吸による気づきの教え』というのがあるとのこと。
そこには、「呼吸を4つの領域(身・受・心・法)から、16の視点で見つめるトレーニングシステム」と説明されているそう。
視点を駆使しして、自分を観察していく。それは、いわば「自分探し」ということなのだと書かれている。
ここでいう「自分」とは、ずっと変わらずに存在していて、思い通りにコントロールでき、常に満足を与えてくれる拠り所になるものです。そんな自分を持つことができたら、どんなにわれわれは幸せに充実して生きていけることでしょうか。
つまり幸せに生きるために、「自分」といえそうなものを、身体、感受、心のさまざまな働きの順に、一つずつ詳しく観察して確認していくわけです。しかし、慎重に検討を重ねた結果分かってくることは、身体も五感も思考も、感情も、そのどこを探してみても、先ほどの条件を満たしてくれるもの、つまり、ずっと変わらずに存在していて、思い通りにコントロールでき、常に満足を与えてくれる、そのような「自分」は見つからないという事実なのです。
そして、その事実が意味することをさらに深く理解するために、四つの法則性に関するパートが置かれています。ここでは、すべての私的出来事・外的出来事は変わり続けていく一過性のものに過ぎない(無常)、そのように一過性のものに執着すると、失望を繰り返し味わうことになる(苦)、つまり、どこにも不変の自分などは存在しない(無我)ーーーという事実自体をマインドフルに観察することが目標になります。つまり、二千六百年前の自分探しプロジェクトのゴールは、結局自分と言えるものはどこにもないということ、それを徹底してやることであったわけです。
仏教用語が出てきて多少混乱する。
でも、私は、去年のゴールデンウィークに、『ブッダのことば』というマンガを読んでいたので、少し繋がりが見えて面白かった。
サイトでいうと、以下の場所が大変分かり易かった。
四念処(しねんじょ)・四念住(しねんじゅう)気づきの瞑想「身受心法」|えん坊&ぼーさん マンガで楽しい原始仏典・ブッダの教え・仏教
真理とは真逆の考え方が「常楽我浄」である。
これを手放すのに役立つのが瞑想。
「常楽我浄」に対応した、それぞれの真理は、こちら。
- 身体は不浄である。 不浄観
- 感受は苦である。 一切皆苦
- 心は無常である。 諸行無常
- あらゆる物質は無我である。 諸法無我
これを踏まえて、「身受心法」を見つめていく。
「身受心法」のそれぞれを4種類の視点で見つめる瞑想の、「16の視点」を用いたやり方が書いてあるところも見つけた。
不安のない生活(31) 呼吸について(4) (ケセラセラ vol.87 冬) | フクロウblog
1.息を長く吸っている時には、「息を長く吸う」と知り、息を長く吐いているときには、「息を長く吐く」と知る。
2.息を短く吸っているときには、「息を短く吸う」と知り、息を短く吐いている時には、「息を短く吐く」と知る。
3.「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
4.「全身を静めながら息を吸おう。全身を静めながら息を吐こう」と訓練する。(感受に関する瞑想法)
5.「喜悦を感じながら息を吸 おう。喜悦を感じながら息を吐こう」と訓練する。
6.「楽を感じながら息を吸おう。楽を感じながら息を吐こう」と訓練する。
7.「心のプロセスを感じながら息を吸おう。心のプロセスを感じながら息を吐こう」と訓練する。
8.「心のプロセスを静めながら息を吸おう。心のプロセスを静めながら息を吐こう」と訓練する。(心に関する呼吸法)
9.「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」と訓練する。
10.「心を喜ばせながら息を吸おう。心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練する。
11.「心を安定させながら息を吸おう。心を安定させながら息を吐こう」と訓練する。
12.「心を解き放ちながら息を吸おう。心を解き放ちながら息を吐こう」と訓練する。(智慧に関する呼吸法)
13.「無常であることに意識を集中させながら息を吸おう。無常であることに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
14.「色あせていくことに意識を集中しながら息を吸おう。色あせていくことに意識を集中しながら息を吐こう」と訓練する。
15.「消滅に意識を集中させながら息を吸おう。消滅に意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
16.「手放すことに意識を集中させながら息を吸おう。手放すことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
「自分探し」のありったけを経験してきたと思う。そして、結局「やりたいことが見つからない」のも、単に経験の不足だろうと思う。目の前と出会っていろいろ感じれば、自分の琴線に触れるものもあるだろう。やりたいことなんてなくていい、それは、経験がなければ当然。経験の海に飛び込んだら、少しは「やりたい」が見えてくるかもしれない。
ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)をはじめる セルフヘルプのためのワークブック
- 作者:スティーブン・C・ヘイズ,スペンサー・スミス
- 発売日: 2010/12/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)