かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

149|オレの信じる子どもたちはそんなやわじゃないだろうよ

久々の19:15退勤。

 

子どもを育てるっていうことは、あるエピソードを歴史にして引き上げるには、それを明日につなぐには……

 

  • その子を想う大人たちの見守りと
  • 語りと
  • 労いと励ましと

がいるだろうよ。

 

ある事柄については、広範なケアが必要になることがある。仕方ない。たとえば、加害者も被害者も、加害者と被害者と呼んでしまわないような。それが少年法なのだと思う。

 

けれど、傷はつく。

それが、子どもなのだと思う。

そして、子どものうちに傷ついて、傷つけて、失敗して、やり直して、学んでいく。

 

そうすることが、なかなかいい大人になるために必要なことなのだと信じる。

 

今回のことを、学びにして次に進んでほしいと思うから2Hのコストをかけたのだ。彼らが好きで、彼らに幸せになってほしくて、彼らが好きだから。

 

今日はドタバタしたなあ。

あれよあれよとトラブルが起きた。

  1. 休み時間中のケガ
  2. 学校嫌だと言い出す
  3. 体育で転んでケガ
  4. ボールを蹴る足が指に当たった
  5. お家の方からの連絡

 

私は、ほんのこれっぽちしか活動しなかった子を認めて偉かった。その子自身もそのこれっぽちを頑張ったと自分を認めていて偉かった。

 

私は次々に事情を聞いて問題を解決する必要があった。

 

偉かったのは、4Hは算数だったのだけれど、解決の時間にしてしまおう!としたところだった。時には諦めも必要である。

 

学校が嫌だと言われると、フリーズしたくなるのだけれど、さて、どうしたものか、と。

「困った時は子どもに聞く」しかない。というわけで聞く。「AさんとBさんとCさんが嫌だ」と言う。このままでは、言葉が入らないと思って、反対に嫌じゃない人は?と聞く。「DさんとEさんはいい」と言う。それはよかったねと言っておく。もっといい人増やそうか、と言う。みんなに聞いてみていい?と言う。うなずくので、そうなれば話は早い。あとは、みんなで応援、励まし、優しさを投入して解決する。謝ってほしいというのにも、他の子や私が仲介して橋渡し。その子は「明日来る」と言った。よし。

 

連絡されたことの解決には、非日常が必要だと思った。双方に話を聞きつつ、話し合いの場を設けていいか聞きつつ。こういうののコツは、先に「嫌だって伝えること、謝られたら許せるか、向こうも嫌なことがあったら謝れるか」を聞いておいて、お互いが仲直りするつもりがあることを確認できてから動くとよい。

何をやめてほしいかを、私に言ってくれと言われたのだけれど、この先自分たちで解決できた方がいいと伝えた。自分が嫌なことくらい、相手を信じて自分で伝えてほしいのだ。相手はそれを聞き入れないような嫌なやつでもないと知ってほしかった。自分で言えた、自分で伝えられた。それで、相手から言葉が返ってきた。それで許せた。それを経験させたかった。その子は絞り出して自分で言った。偉かった。

 

帰りには、彼らはお互いを賞賛した。話し合って、謝りあって、許し合えてよかったのだそうだ。そういう解決ができる仲間になっていってほしい。こんなことでいちいちつまずくな。

 

そして、どんなに彼らが素晴らしく偉くて、もう日常を取り戻していたとしても、それをどうお家の方に伝えるのか。そこにもうひとふんばりいる。少し言葉が多くなってしまったけれど、頑張った。自分の子ども観を伝えるのに苦労するが、分かってもらえたと思う。彼らは明日を共に築いていくのだと。

 

私も明日へと向かう。

彼らは、まだ知らないだけなのだ。

そりゃ躓くし、失敗するし、間違う。でもそれでいい。それがいい。そして、やり直せばいい。

 

それを実際に実行している彼らは本当に美しいと思っているよ。