かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

157|最悪よりはマシになった

昨日は最悪の気分だった。

最近覚えている感覚の中では、一番最悪だった。そして、言われることも最悪だなあ、と思った日。職場でも家でもね。寄り添うって難しいなあ。

 

その人が言われたくないことを言わないで、無責任でなく、案を言うみたいなイメージなんだけど、難しいなあ。あとは、その人が一番解決したいこと、それが変わると解決したと思えることにどうアクセスするかだね。何を問題として、変革を起こしたいかというのは、常にすでにあるわけではないから、「問い」が重要で、問う中で、対話から生まれていくのだと再認識。

 

自分の中で何かが解決したっぽく感じると、いくらか心は晴れる。あまりにも憂鬱なので、「コロナうつ」という言葉が目に止まって「Newton」を買ってしまった。

Newton 2021年1月号

Newton 2021年1月号

 

 

憂鬱になっても仕方ないような情勢にいると思えると、自分の気分も少しは許せるかな。あまりにも憂鬱すぎて、子どもや周りの人に対しても面目ないなあと思うのだけれど、仕方ないと思えるといくらか気が晴れる。すみません。

 

ただ、一番憂鬱で、憂鬱すぎたのは、土曜の夜から日曜の夜にかけてで、日曜の夕方なんて最悪中の最悪な気分だったのだけれど、今になればずいぶんマシになっている。本当に不思議なもので、日曜なんか昼寝のせいもあるけれど、寝付きが悪く「もう一生自分はこんな気分なんじゃないか」なんて思っていた。頭の中で「ある言葉が消えない」。恐ろしかった。その言葉が繰り返し浮かんでしまう。月曜日もそうだった、頭の中に隙ができればその言葉が浮かんだ。洗脳されてしまったかのようだった。どこかで、そのサブリミナルを喰らってしまったのではないかと思った。けれど、そんなの嘘のように、今は頻度が減ったし、その言葉が浮かんだからといって、「うえー」と嫌な気持ちにはならなくなった。

 

疲れているのだ。家族も調子が悪い。

寒いのだ。みんな、とりあえずは風邪に気をつけるしかない。