かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

159|分かっていたこと

授業の受けたさ、分かりたさ、そういうのは、どこからやってくるのだろう。

 

あれが楽しいとか、これが楽しいとか。子どもたちは何が繰り出されるか、と楽しみにしているのだろうか。

 

「動機」をどう煽るか。学ばないとならないなあ。変化球をあまり投げられていないのだろうなあ。恐縮だなあ。

 

全員が揃って時間通りに座っている瞬間があった。内容がよかったのだ。非常に現金な子たちである。嘘がない。忖度がない?

 

まあ、いいや。そして、やっぱり、日曜の夜よりは、どんどんよくなっている。昨日、「うー最悪」と思ったけれど、そんなこともないかな。今日は楽しかったな。

 

スーツを着ていたら「先生は仕事の時はそういうかっこなの?」と言われた。

 

オレは、いつも何をやってんだろうかね。

 

それと、緘黙だった子の声がずいぶん聞こえるようになったんだよなあ。クラスは、ある子にとっては、マシに働いているわけだ、と。そう信じたい。

 

ネガティヴは、体調のせいにしよう。

 

人間としてのアップデートが足りないってことでもなく。

 

そもそも「それはどうなの?」ってほどのことを子どもはしているのか。

時間を守っているとか、いないとか、が。

だって自分だってできないっていうのが、苦しい。でも、終わりは守っているよね。なのになあ。