かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

058|また昨日と違った風が吹いて【図工の話】

週の真ん中で、くぼみができると、木曜日は一体どうなってしまうんだろう、なんて思うけれど、思ったよりよくて拍子抜けする。

 

そういうのの行ったり来たりなんだろうね。

 

やはり臆せず、歩んでいくことだね。今日は電話ラッシュでした。6件したかな。ただ、どのお家の方も友好的でありがたい。学校楽しいって言ってくれているとのこと。そのモノサシが崩れたら批判されるのかなあと思うと嫌だけれど、有り難い。一人でもそういう子がいるなら、あれやこれやと考えて施してよかった。幸い。

 

今日は、図工開きだった。昨年の反省から今年は図工を少しは学びたいと思っていて、結局何を大切にすればいいのかが知りたいと思った。それを体感する言葉をもっていないと思った。

 

とりあえず、教科書会社の冊子みたいなものを一通り見る。

図工のみかた|機関誌・教育情報|日本文教出版

 

どのナンバーも面白かった。その中でもこれだな、と見つけた言葉は、「いいな」だった。

 

図工は、自分が思いついた「いいな」や誰かの作品から見つけた「いいな」を使って、表現したいことを表現する教科なのだ。そのための、技能や構想する力が必要になってく。もっぱら、子どもたちには、経験が不足しているとされ、そうなると、どの色が好きとか、形が好みとか、その「感覚」自体にピンこないことも多々あるはずで、そうなると、自分のだけじゃなくて、とにかく何かを見て「いいな」って思えよ、と思い「いいな」を大切にすることにした。図工は子どもたちの「したい」や表現したい「思い」ありきの教科である。この先の図工がただのやらされる作業で、うまいかどうか、退屈じゃないかというモノサシではなく、「表現したいことを表現できるか」というモノサシで楽しんでもらうためにも、考えて自分なりの表現をついしたくなるような題材を考えて、実践できるといい。それは、「めあて」の示し方でも違ってくるだろうと思う。

 

たとえば「カタツムリさんの歩く道を描く」としたら、ただ描くのでは何も発想のしようがないわけで、「カタツムリさんのながーーーーいぼうけん描こう」としてみると、少しは線に意味が与えられ、画用紙の上はいくらか豊かになったように思う。なぜその色を選んだのか、なぜその付け足しをしたのか。聞いてみればきっとストーリーが出てくるのだと思う。それを聞いて歩く時間がないところが残念すぎる。いや、そうしなかっただけだな。次の図工では声をかけていこう。そうすると、私ももっと楽しいだろうと思うなあ。

 

今日の原則は

第七条

空白禁止の原則

「たとえ一人でも空白の時間を作るな」

苦手である。今日は、算数が素早く終わってしまった子に、「終わった子は、裏に100個◯を書きます」なんてことを言った。表よりも白熱していた。こういうのを、適宜思いつけたらどんなにいいだろうか。

 

追伸:昨日のミスは、リフレームによってミスでなくなった。子どもの懐の広さを思う。