かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

178:体が軽い

朝は、わりと軽快だった。帰りはどうかな。

言いたいことを言えて、聴きながら進められるといいなあ。

 

結局「目線かな」という可能性もありながら。

「目線によって承認すること」が苦手である。

 

内側から飛んでくるライフルを恐れずに、外側で起こっていることをしょうがないと思いながら、「平常心」でやっていくしかないのだろうな。

 

「冷諦」

 

これだけは、忘れずにいこう。

 

 

帰り。

も、体は軽いな。

思ったよりも、良いスタートを切れたと思う。

なんだろうな。クラスの子たちから友好を感じた。友好的だったと思う。声かな。声が明るかった。

友だちの「静かにしてー」がめっちゃ通ってたな。これは、話そうとする友だちも、私も嬉しいよな。よかった、よかった。

 

ほんのりな感じで学べて、授業ができたなあと思えているのもよい。

 

出だし好調である。

 

ブロンズの1日(だか3日だか)と言われる3学期明けに何を伝えようか迷っていた。

けど、言いたいことが言えたと思えた。

 

  1. コロナのこと
  2. 学校教育目標に関連づけて振り返りをしていこうということ
  3. 得意と苦手があるから、全員で力を合わせてできるようになっていこうということ

 

時間がない中で、これだと若干即興だけど、絞って話せてよかった。やりたいことをやるためのことは言っているし、布石になることも言えている。なんだかんだ、自分のしたいこと、考えていることは口をついて出てくれてよい。

 

あと、あれだな。

少し離れて、また「正常な距離(?)感」に感覚を戻して子どもに会えるっていいなあ、と思った。「目線」にも通ずるけれど、なんだか、フラットに見られそうだ。もう一回、メタしながら教室を見てみよう。

 

出来上がっていた、関わりに巻き込まれないで、やり取りができるなあと思う。不思議だ。子を子として観れるというか、一人ひとり違うよねと歴然として見えるというか。この仕切り直しの効果は大事にした方がいいな。

 

あと、あれだ。

2学期に書かせたのと同じ紙に目標を書かせたらみんな書きっぷりが良くなったたんだよな。「なんも成長させてられん」と思っていたけど、そんなことないことに「おっ」と救われているかな。

 

こんなん、えらいビリーフや。子どもは勝手にだって成長するというのに。

 

必要だと思うことにコストをかけたい。コストをかけられる人でいたい。ぬーん。