かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

071|『クレヨンやパスとなかよし』

この題材も楽しくできたような気がするので、やったことを描いていこうと思う。

 

最初に、「クレパスとどうしたら仲良くなれるのか」を聞いてみた。

「どんな色がすき?」という歌を思い出させつつ、「いろいろな色を使った方がいい!」と言わせる。

 

「白いところは残す?」と聞きながら「少ない方がいい」と言わせる。

 

そのようなひどい誘導によって、子どもたちの活動に制限を加えた。

 

せん

クレパスと仲良くなるには、クレパスでできる表現を知っていくことだ。

 

子どもに、小さい紙を渡して、「一番好きな色で線を描いてごらん」といった。

 

いろいろな線が出てくる。それを取り上げて、紹介していく。

 

  1. たてせん

  2. よこせん

  3. ジグザグ

  4. ぐるぐる

  5. なみ

  6. でこぼこ

  7. うず

大体そんなのがあるだろう。

 

てんてん

その書いた線に「てんてん」もさせる。二番目に好きな色で点々してごらん」という。

 

トントントントンという音が教室中に響く。

 

見てまわると「濃い点々」と「薄い点々」があると思う。

 

強さで変わるということを見せて伝える。

 

つよさ

新しい紙を渡して「やさしいまる」と「つよいまる」を描かせる。

 

「やさしい、つよい、やさしい、つよい」と4つ描かせる。

 

そして、その中を「やさしい、つよい、つよい、やさしい」で塗らせる。

 

優しく塗るのと、強く塗るのとの違いを表現できる。「うすい、こい」「ほそい、ふとい」など。しかし、どんなことを表現するときにどちらを使うべきかまでは、理解させられない。ここは、これからまた勉強がいる。

 

かたち

さいごに「線で形も表現できる」ということを伝える。

 

前の2枚より大きい紙を渡す。「知ってる形を描いてごらん」と言う。

すると、いろいろ出る。

 

  1. さんかく

  2. しかく

  3.  

    まる

  4. ハート

  5. ダイヤ

  6. 好き勝手な形(魚やぐちゃぐちゃなど)

「いろいろな形を知っているんだね」と言っておく。

 

「ほしばっかり、ハートばっかりになると面白くないので、今日は『さんかく、しかく、まる』だけを使って描いてください」と言う。

 

「えー」となる。失敗、失敗。

 

それでも、紙2枚までは喜んでやる。楽しんでやる。

 

途中、手を洗いに行っていいかの話が出るので、先に注意をしておく。行くなら、絵が終わったタイミングがいいと思う。

 

3枚目にいくと、作品が雑になる。私はそれで失敗した。

 

作品カード

今回は作品カードも書かせた。

 

名前、題名の他に、一番見てほしいところ、その理由も書かせた。少しでも子どもの目から作品を見たかったからである。その練習をさせてもらいたかったから、書いてもらった。やはり、全く未知の目線が多かった。題名からも子どもの視点が分かって面白い。

 

そして、この活動が「絵具となかよし」につながる。

 

以上。

069|教職は、自律神経をやられるし、自律神経をやられてはいけない

感情の上げ下げが激しいからだ。

 

そして、それをコントロール(処理)するのに、おそらく、脳がエネルギーを大量に消費する。よって身体の物理的な器官が消耗するのだと思う。

 

教師の仕事のもっともな部分は、感情労働であり、最大の負担も感情労働だと思ったが、それよりは「自律神経労働」と思った方がいいかもしれない。

 

その最大の理由は「余裕のなさ」であり、ニアイコールで「時間のなさ」である。

 

時間がないということは、「即判断」が多いということになる。それにエネルギー使う。

 

学校で働いている時間の中で、「即判断」が多いほど消耗する。

 

だから、「準備(計画)」による、「余裕」が必要になる。

 

たとえば、特別支援学級は、「即判断」が多いと思う。だから、少人数であるべきだし、チームで計画を練っていくのだと思う。

 

しかし、悪循環に、はまるとその「準備のエネルギー」も枯渇している可能性がある。

 

「イレギュラー等による即判断の連続」→「エネルギーの消耗」→「準備不足」→「イレギュラー等による即判断の連続」の悪循環である。

 

教職が、そういうルーティンだということで慣れていて、土日上手に休んでやりくりできている人は、もうそれでいいのだと思う。

 

けれど、そういうタイプの人で、健康に楽しく仕事ができているという人は少ないように感じる。

 

やはり、「働き方改革」は、必要で、その人が健康に気分悪くなく定年まで働けるような、仕組みや仕事の仕方を身につけていく必要はあるだろうと思う。

 

22時まで残ることや土日にも仕事のことを考えなければならないことが一年中あるのでは、その人は家族と生きていけるのか。私は、そこが気になる。

 

ワークライフバランスとよく言われるが、このバランスは、人それぞれ違うのだと最近よく思う。各々の感覚こそが大切になるのだと思う。

 

たとえば、量的な時間として5:5でないとストレスが多いという人もいれば、9:1という風に1でもあれば、0でなければいいという人もいる。そして、何を1と感じるかもそれぞれ違うだろう。家にいさえすれば仕事のことをしていてもライフを感じる人もいれば、家族といる時間がライフな人もいる。仕事と全く関係のないことをすることがライフな人もいる。大抵は、仕事以外がライフになるはずである。

 

私も一日の中に、プライベートな生活を進行する時間が0だと、ストレスが大きい。自分の好きなことの本を2ページでも読めば、そのストレスはとても小さくなる。それがないと、「今日は何もできなかった日」という烙印を押してしまう。たとえ、仕事が充実していても。

 

そして、本当は家族にも時間を割きたい。

 

ハピペンの一日は、

  1. 仕事
  2. 諸生活(睡眠・食事など)
  3. 省察
  4. 自分の時間
  5. 家族との時間

となっていることが多い

 

実際にやっていることと優先順位を考えるとこんな感じになっているように思う。この中の4と5をもっと増やしたり上げたりしたい。

 

そうすると、バランスが取れている感じがする。そのために、2は動かしようがないので、1か3を減らす必要がある。1は、永遠のテーマだろうと思う。早く帰れる算段と質の向上を絶えず考えたい。3は、もう少しダイエット可能かもしれない。この週末に見返して、価値を感じるか見てみたいと思う。かれこれ、100日近く溜めた自分のための振り返りから、自分の人生の満足感だとか充実感や生産性につながる知恵が眠っているのか、確かめて余計な時間を減らしたい。

 

そうそう。最近、振り返りこそが、悪循環の種かもしれないってことを見定めたいのだ。

068|身体か気持ちに出るころ

全員登校で3週目に入る。子どもたちは、身体か気持ちに頑張りすぎた、脳の緊張を保ちすぎた、いつもと違う神経を使いすぎた疲れが出てくるころなのだと思う。いや、どの人間もか。

 

5月に、私立に通っているのであろう小学生が改札でギャン泣きしているのを見た。擦り切れ始める時期は、誰しもに訪れる。そして、量的なゆとりのない家庭や社会、環境にクライシスが訪れる。たとえば、十分にお家で「エナジー(のような何か)」を充電できていれば、ギャン泣きせずにやれることもある。これは、お家が悪いとか、原因はそれだけではないとかはもちろんそうで、たとえばである。何かによって、「疲れ」に付随する何かが拭われていたり、充填されていれば(それは、たとえば睡眠かもしれないし、栄養かもしれないし、モチベーションかもしれないし、何かである)、乗り越えられる可能性がある。

 

しかし、言ったように、「誰しも」に訪れるものだし、訪れている。それでも、なんとかやれているだけである。その「何か」が、何とか充填されているためである。それは、家族ごとに、人間ごとに違うのだろうな。人によっては、ご褒美的なスイーツとか、お酒とかなのかもしれない。パチスロな人もいるだろう。

 

悩まれている人がいるならば、どの人にも訪れるものだということで、「ノーマライズ」しておきたい。不適応だとか、誰が悪いとか焦るのではなくて、誰だって疲れればそうなのだということを肝に命じておきたい。

 

状況に焦って、起こったことと反対の「よい」とされる状況になれる(戻る)ことだけをよしとして、あれこれお尻を叩く(ことが必要な時もあるが)のではなく、受け容れつつ、労いの言葉をかけて、休ませて、また励ますというこもが必要な時期でもあると思う。

 

「誰だって、そうなのだから、大丈夫よ」ということである。

 

人間には、辛いことが起こる。しかし、それは、人間が誕生してからずっと、乗り越えてきたことでもある。人間は、とても辛いことから逃れられないが、それを乗り越える機能も持ち合わせていると知っておきたい。だから、ここまで繁栄し、生き残ってきたのである。これは、大切な人の死についての話だが、人間にはそんな風に、辛いからといってその状況やその人が悪なのではなく、当たり前に辛くなる機能があって、また回復する機能があるのだと言いたい。

 

ここからは、ふと思ったこと。

30数名を見て、3年目になるが、それ用の目が養われてきたように思う。

 

そして、子どもをいろいろな見方ができるようになったなあと思う。具合が悪い時もあるとか、乗らない日もあるとか、でも、一年という長い目で見れば、もーっと長い目で見れば、どの子も成長するということとか。今はそうでも、ちゃんと乗り越えられるよということとか。この容れ物が大きいほど、気持ちよく、次の一歩を踏み出せるように、人にエナジーを与えられるのではないかと思う。

 

すべての「何か」は、「何か」にリフレーム可能である。

 

『で〜きた』という番組の「できないをできるマン」が最強すぎるという話。

できないことにきづけたら

いつかできる

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デキナイヲデキルマンの歌 | で~きた | NHK for School

 

 

大きな流れの中で励ませること。大切にしよう。

 

「大丈夫」

「できるよ」

「そういう人になれるよ」

と。

 

瞬間瞬間的な時代だからこそ。

長い目で生きていくということを。

067|自分を出し始める

水曜!初勝利!

 

全員登校が始まって、火曜と水曜が鬼門だと思っていた。今日もそれを意識しながら、うまくいかないことを、それはそれとして、認めできない許しながらの一日。

 

ただ、帰りの会でさようならをしてスッキリ感があった。意識して声をかけたり、指導をしたり。汚い感覚だが、あれやこれやとある中で、落ち着きがあったからだと思う。

 

準備が上手くなった。そして、片付けも上手くなったと思う。いつまでも遊んでいる人が目につきにくくなった。

 

今日は席替えもした。その割に落ち着いていたので、悪くない席だと思う。力を合わせてやっていってほしい。「嫌なことを言われる」との声もあったが「先生に言ったから大丈夫だった」というフィードバックをもらい、嬉しかった。

 

先日、前任校の人と会って話を聞いていたが、締める指導の時にはその人を召喚してみている。詰め方がうまい人。「分かってんのになんでやるんだ」というのがキラーワードになる。

また、その人の「先生はあなただけの先生じゃありません。みんなの先生です。」というのが面白くて、クラスで言ったら、刺さった子が何人かいて「先生は一人だけの先生じゃないんだよ」と言ってくれもする。粘土で寿司を作っては、私に振る舞ってくれる子どもたちである。一年生ってこんなにほわほわしたものなのかと驚く。

 

ゴミ袋のないゴミ箱にゴミを捨てていることのショックを伝えれば、「じゃあそれ片付ける時手伝います!」とか言って「いや、そういうことじゃなくて」と思いながらも。ありがとうと言ってその場を終え、後で片付けていると、本当に寄ってきて、一緒にゴミを取り出そうとするからすごい。

 

今は、常時活動に支えられていると思うなあ。あれで、毎日少しでも伸びるっていうような実感にアクセスできているから、学校はマシだと思えるのではないかと思う。

 

やっぱり「ちょっとずつ毎日」は、強い。

もう一度今月中に目を通そう。

とりあえず、使わなかったプリントの余りをサクサク入れるところを作りたい。それが仕事を滞らせているように思う。フォルダに分けようとしているけれど、一括管理でいいかなあ。どんどん時系列で積んでいくのでも。

 

そして、ふと「自分が自分を出しはじめたな」と思った。注意の仕方が若干厳しくなる。どうしてかな、と思うと。子どももそれだけで、外すからだろうな、と思った。譲らないところは譲らないし、阻むところは阻むことを、これからもしていこうと思う。抑えたら取り逃さないように気をつけたい。「ずるさ」を是正していくようなイメージでやっていく。

 

水5というのもあってか、私も前頭葉が疲れていたと思う。昼休みの寿司つながりでもあるのだけど、子どもが書いた平仮名を「味見してみるね」と言って、「うまい!」とやったら、「うまい!」を欲しがられまっていた。子どもたちは「うまい!」と言ってもらえるか、不安そうな顔をしながら、言うと「にこっ」と笑っていた。たまにやっていこう。「ん!これは!星3つです!」とか言うとたぶん「シーン)となるんだろうな。「美味しさ」の表現を豊富に使って、「うまさ」を表現すると盛り上がるだろうか。向山さんで言うところの評定。

066|『ひかりのくにのなかまたち』によって、ものすごいリップサービスを受ける

ポッと事務仕事が入ってくると、平気で1時間延びてしまう(やっていない自分が悪い)。自転車なのだから仕方がない。ギリギリ、マイナスではないと言えるような状況に安堵するくらいしかできない。

 

そうして、今週のあと3日を頑張れるだろうか。年度はじめのあれこれをもう定番として決めて、記録もとって。それで、その分で新しい学年の授業準備をするとか、新しい分掌の仕事をするとか。そうしないと、17:00には帰れないなあ。結局、土日かけるしかないんだろうか。そうしないと、クラスが荒れる?本当に?

 

ただ、そういう準備の他に、「題材名」や「ねらい」「問い」の方が大事なようにも思う。

 

たとえば。図工で「ひかりのくにのなかまたち」という題材がある。おそらく不朽の名作なのだと思う。

 

そして、不朽の名作だからと言って、「ただ材料」「ただめあて」では、子どもが想像力を働かせて、やりたくなって、楽しんで取り組めるかは分からない。だから、楽しめるようにそのための、「言葉」による刺激がいる。

 

https://www.nichibun-g.co.jp/library/e-other/e-other16_abc-z.pdf

 

こういうのを見て、そう思った。

 

「ABCシリーズ」は、おすすめです。

ABCシリーズ|機関誌・教育情報|日本文教出版

 

なので、今日は。

「『ひかりのくにのなかまたち』っていうのをやります」と言って。

「『ひかりのくに』ってどんなだと思う?」と言うと、意見が炸裂した。大変な量の意見だった。30個ほど出た。「たいよう、おかね、オーロラ、たからばこ、ラメ、にじ、おうさま、ひかっている、きらきら、まぶしい、きん」など。

 

誰かが「もう全部きらきら」と言った。子どもたちは、子どもたちそれぞれの「ひかりのくに」を頭の中でイメージし始めていた。これが良かった。M78星雲ではなく。

 

そして、今日の材料はね、と「セロハン」や「袋」を見せた。

 

「今日は、こういうの使うんだけど、ひかりが透けます。この材料たちは『ひかりのくに』に行きたいんだって。でも、このまんまじゃ行けなくてね、生き物とか人の形でないと『ひかりのくに』には行けないのよ」と言った。

 

そうしないと、それで造形する意味をもたせられないと思った。なので、みんな材料たちを『ひかりのくに』に連れていくために頑張ったと思う(思うである)。

 

そして、材料にも意味をもたせた。

  • ふくろ→体
  • セロハン→エネルギー(袋の中に入れていく)
  • モール→形をつくるのに使う
  • 色紙→かざり
  • シール→最後に目

という風に伝えてみた。

 

少し想像を阻んでしまうかもしれないとも思ったけれど、0から考えるよりは、いい加減だったと思う。全員作りたいという気持ちで作れていたので。

 

30分ほど経つと、モールで手足を作ったり、セロハンを貼ったり、折り紙も使っていいか聞いてきたり、想像が広がって、願いをもって、やりたいことが生まれた子は動き出す。

 

多少「くに」というワードが引っ張って、ドレスやナイトを作った子も多かった。

 

それでも、「ああしたい」「こうしたい」をもって活動できたのはよかった。

 

「ABCシリーズ」を見て、声の掛け方も変わった。色紙を細かく切っている子がいれば、「どうして切っているの?」と聞いてみる。「これベルトー」と言う子には、「どうしてベルトをつけたの?」と聞いてみる。

 

そうすると、それぞれ返事が返ってくる。その子なりの頭の中、ストーリーがあることがよく分かった。

 

本当は「その『ひかりのくに』には何があるの?」と聞いてさらにイメージを広げさせたかったが、材料を紹介しているうちに、「もう!はやくやりたい!」の声があったのでやめた。

 

男の子3人が、休み時間やちょっとした時に私に「図工」について話しかけてきた。

 

「図工って遊びみたいで楽しい。今日、学校に来て図工やれて良かった。」

「図工ってやっぱりわくわくするから大好き!」

「(給食のときに、つくったものを)今、見てて、今日の図工楽しかったなあって思ったよ。」など。

 

やさっ!って思う。優しい言葉たち。

 

「2年生になっても田村先生のクラスがいい。田村先生の親友になりたい。」とか。

 

おいおい。リップサービスがすぎるぜ。

いい日だよなあ。

 

というわけで、やはり、なんと言っても不朽の名作というわけです。

 

 

 

065|今をメタする

朝、「今をメタする」と実際現状どうなんだ?と思った。

 

emotionとfactと。

 

自分が「勝手に辛がっている」だけであって、本当は軽い荷物なのかもしれないとか。いろいろ考えてみて。

 

とりあえず思うのは、回復したいってことだ。

 

昨日、疲れについて検索して「梶本修身さん」の記事を見つけた。

 

疲れには三段階あるという、どこかで聞いた話が書かれていて。

 

それを見て、これまでと同じことをしても「より疲れ」を感じる場合、ステージは2にいる可能性があると思った。

 

2は、これまでと同じことでも、従来以上に疲れてしまうとしたら、回復もそれだけこれまで以上にかかるというステージだ。

 

そうすると、何か一工夫をして、ステージ1に戻らなければならないのではないか、と思った。

 

特段、「眠れなさ」や「食べれなさ」は、自律神経の疲労が溜まっている証拠なのだそうだ。

 

私はどちらにも異常を感じたことはないのだけれど、やっぱり、最近4時間眠ると起きてしまうことが続いて、尿意のせいかと思ったら、それは因果関係が逆なのだそうだ。起きるからトイレに行っているわけであって、トイレに行きたいから起きてしまうわけではないのだそうだ。

 

寝具の新調など、改善のアクションを考えていたが、結局「疲れとは、休む以外で取れない」らしい。だらだら、ごろごろと休む時間をつくるしかないのだ。昨日は、だらだらできて多少気分が良かったと思えた。つまり、その時間を増やすしかない。

 

「疲れとは、根本的に脳の自律神経の消耗によって引き起こされる現象である」

 

有効なのが、少しでも「疲れた」と感じたら、すみやかに休息を取ること

 

精神的・肉体的に負荷がかからない環境にできるだけ身を置き、無理のない行動を心がけることです。

梶本 修身 Osami Kajimoto | 現代ビジネス

 

というわけで、今日は、早く帰ることにした。本当は年休を取りたいぐらいだ。

 

そして、さらにこんなことが書かれていた。

渡り鳥と違ってニワトリは飛ばなくなりましたが、遺伝的に羽の付け根のところにイミダペプチドがたくさん含まれています。疲労対策には、この鶏むね肉を1日100グラム食べれば、確実に必要な量のイミダペプチド(1日200㎎)を摂取できます。これを2週間続けてもらうと約76%の人に疲労軽減効果が認められることがわかっています。

眉唾だろうか。

 

ただ、何か試す必要はあると思う。加齢もあるだろうけれど、これまでとは違う疲れの中にいるのは確かだと思うからだ。

 

ためしに、サプリメントで、何か変わるのだろうか。

 

昨年は、R-1を飲んで、第二の脳である腸の負担を減らすことで、脳のエネルギーを無駄に消費しないようになんてことを考えていた。

 

しかし、その「機能性飲料」ありきの身体は、この先、崩れたらどうすんだよ、と思ってやめた。

 

ただし、それを慢性的に、よい状態を維持するために飲むのではなく、「通常に戻るきっかけ」としてなら、その必要はあるのかもしれないと思う。

 

試しに、書かれている通り2週間。そして、その76%に入れるのか、試してみたいと思う。ここから、とりあえずの連休まで、ちょうど、あと2週間である。走りきるために、サプリメントを飲んでみようと思う。

 

それてま、ステージ1に戻れたなら、また後半気持ちよく走れるはずである。最近の擦り切れそうな自分。睡眠の質も確保できないし、追われてばかりの仕事も、それらを統合したような不安感も。疲労回復ということで、片付くといいのだけれど。

 

現状のメタは、間違いなく「疲れている」ということだ。それに対して、ケアを試みたい。イミダペプチド・チャレンジである。

 

 

 

064|3【はてなブログproをやめたら】

疲れた!!

でも、いい日だったから、よかった。

 

それで、いいじゃない?

そして、今日は忘れてはならない日。

 

お別れ会をした日。みんなでがんばってお手紙を書いてよかった。新たな場所でも元気にやってくれるはず!!

 

さて、タイトルは「アクセス数」である。

そもそも、最近は、日に100くらいしかアクセスがなかったわけなのだけれど、proでなくなることで、こんな風に変わるのか!と思った。

 

7月1日から3日の平均が「3」である。

反対に見てくれた人に感謝したいです。

 

とても気持ちよく終われた金曜日だった。

こんな日が続くといい。

 

063|ちょっと疲れてるな。疲れてると思う。

暑さもあるかな。

怒涛かつバタバタである。

 

時間についての感覚に本当に難あり。ここについては、何か数値がおかしいと思う。時間にゆらりゆらゆらな地域で住んだ方が私は幸せになれると思うわ。

 

一生こうして、ヒーヒー言いながら、自分を責め続けて生活していくんだろうか。嫌だなあ。悲しいなあ。虚しいなあ。

 

そんな憔悴した感じだから、ちょっとしたクライシスに弱い。一気にへし折れそうである。頑張っているからこそ、何でも刺さって倒れそうになる。

 

気を遣いすぎて疲れるかな。あーあ。と言いつつ、一昨年は、乗り過ごして23時に気がついて遠くまで行った時もあったなあ。疲れ知らずというか、疲れているというのが分からなかったから大変に危険だったなあ。

 

みんな自分のことで精一杯である。よくやっているよ、皆々様ね。そういう意味では、本当に特段、子どもたちがよくやっているわ。みんな毎日来ている。えらいよ。すごいよ。それは、大変に嬉しいことだ。