かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

067|自分を出し始める

水曜!初勝利!

 

全員登校が始まって、火曜と水曜が鬼門だと思っていた。今日もそれを意識しながら、うまくいかないことを、それはそれとして、認めできない許しながらの一日。

 

ただ、帰りの会でさようならをしてスッキリ感があった。意識して声をかけたり、指導をしたり。汚い感覚だが、あれやこれやとある中で、落ち着きがあったからだと思う。

 

準備が上手くなった。そして、片付けも上手くなったと思う。いつまでも遊んでいる人が目につきにくくなった。

 

今日は席替えもした。その割に落ち着いていたので、悪くない席だと思う。力を合わせてやっていってほしい。「嫌なことを言われる」との声もあったが「先生に言ったから大丈夫だった」というフィードバックをもらい、嬉しかった。

 

先日、前任校の人と会って話を聞いていたが、締める指導の時にはその人を召喚してみている。詰め方がうまい人。「分かってんのになんでやるんだ」というのがキラーワードになる。

また、その人の「先生はあなただけの先生じゃありません。みんなの先生です。」というのが面白くて、クラスで言ったら、刺さった子が何人かいて「先生は一人だけの先生じゃないんだよ」と言ってくれもする。粘土で寿司を作っては、私に振る舞ってくれる子どもたちである。一年生ってこんなにほわほわしたものなのかと驚く。

 

ゴミ袋のないゴミ箱にゴミを捨てていることのショックを伝えれば、「じゃあそれ片付ける時手伝います!」とか言って「いや、そういうことじゃなくて」と思いながらも。ありがとうと言ってその場を終え、後で片付けていると、本当に寄ってきて、一緒にゴミを取り出そうとするからすごい。

 

今は、常時活動に支えられていると思うなあ。あれで、毎日少しでも伸びるっていうような実感にアクセスできているから、学校はマシだと思えるのではないかと思う。

 

やっぱり「ちょっとずつ毎日」は、強い。

もう一度今月中に目を通そう。

とりあえず、使わなかったプリントの余りをサクサク入れるところを作りたい。それが仕事を滞らせているように思う。フォルダに分けようとしているけれど、一括管理でいいかなあ。どんどん時系列で積んでいくのでも。

 

そして、ふと「自分が自分を出しはじめたな」と思った。注意の仕方が若干厳しくなる。どうしてかな、と思うと。子どももそれだけで、外すからだろうな、と思った。譲らないところは譲らないし、阻むところは阻むことを、これからもしていこうと思う。抑えたら取り逃さないように気をつけたい。「ずるさ」を是正していくようなイメージでやっていく。

 

水5というのもあってか、私も前頭葉が疲れていたと思う。昼休みの寿司つながりでもあるのだけど、子どもが書いた平仮名を「味見してみるね」と言って、「うまい!」とやったら、「うまい!」を欲しがられまっていた。子どもたちは「うまい!」と言ってもらえるか、不安そうな顔をしながら、言うと「にこっ」と笑っていた。たまにやっていこう。「ん!これは!星3つです!」とか言うとたぶん「シーン)となるんだろうな。「美味しさ」の表現を豊富に使って、「うまさ」を表現すると盛り上がるだろうか。向山さんで言うところの評定。