解決とは「変化」と「受容」だということ。
学級の中でも、つい、それを見つめてしまう。
昨日、少しギアを上げた。
「当たり前だから、許されているから良いというわけではなく、変わるべきことは、変わる必要がある」ということを伝えた。
「誰か」を意識すること。
自分のことだけを考えるのではなく、それができたなら、世界はほんのちょっと変わるはずである。
三学期はじめて議題箱を扱った。
スッとサークルをつくれてよい。
「なんでもバスケット」をやって、和んだり、席替えを試みる。
議題について話す。
ほんの10分程度だが、とてもよい解決ができる。素晴らしい。
大事なのは、この議題にされたこと自体が「受容される」ということ。そして、その「受容された」ーーつまり、「お願いや困っていること」を「聞き入れてもらえた」ということそのものが「変化」となる。
議題を話し合うことにより、"クラス"が変容のうねりを帯びる。そして、その議題のことだけが「ある」とか「ない」とか変わるのではなく、誰かが受け入れることや変わることを目の当たりにすることで、私も出来る限り頑張ろうとか、僕も何か変えなくちゃいけないかなとか、なし崩し的に変化の連鎖が起こる。
そして、その「人は変われる」という可能性が、彼らを未来に押し出す。グオーンと。
今日は、そういう可能性を感じてウキウキした。
大切なことは、みんな目標に向かって、よくなろうって、よいクラスになろうって、根本の根本は思っているってことだ。
一旦、目を閉じて「自分はこのままでいいのか?」と問うてみる。「できることはないか」「本当に何もないか」問うてみる。そこから、生み出せる未来があるかもしれない。
君たちは素晴らしいよ。