毎日のメモをレビューし直す習慣がいるよなあと改めて思う。レビューしないなら、メモいらんやん!と。
月曜日
視察に来てもらった日。和やかな一日だった。
〈見てもらってた体育について〉
子どもを観察して「これむずくない?」と問う。体育はその場の試行錯誤の即興的な成長が楽しい。
うまくいっている子にエピソードを聴くなどで、ノウハウを拡散する。
ハピペンは試合を委ねて、練習を見に行く。
そして、子どもは、ハピペンを求めていると。そういう声は聞いてねーなー。ああ。
なんか手帳術を見てのメモ。見返してみるとなんたこれ?感がすごいなあ。
- 3週間先(したことのケアも予期して含んでいく)
- それによって得たい成果も書き込む
- 予定を埋めて余裕時間(自分の時間)を見つめて手に入れる(プライベート優先で)
火曜日
特段なく。
水曜日
遠くの不登校の子のリマインドを入れていた。こういうのは役に立っている。おかげでもう一度話せた。
タスクのこぼしもあるなあ。提出物が苦手すぎる。健康診断票って( ̄◇ ̄;)。8月のは、今どこに?!
【仕事術に影響を受けてのメモ】
- 今日やること
- 5分でできること
- 期限のあること
- 期限のないこと
この4つで分類するといいとある。カテゴリーでは、クリファイルで分けられるようになったけど、処理する仕事をこう分けた方がいいなあ。
その中で「5分でできる仕事」をリスト化して、そのファイルなんかにペラを入れておくんだと。
【5分でできそうな仕事】
- 明日の仕事の仕分け
- 出勤簿
- 出席入力
- 時間割入力
- テストの点入力
- 出勤印を押す
- 学年便りの日付変える
- 計算のプリント印刷
- 漢字のプリント印刷
- 子どもの振り返り
- ジャーナルを見る
- いらない手紙捨て
- 黒板にメッセージを書く
- 予定の確認
- 習慣のお金を袋から出す
- 袋にハンコ
(参考)
木曜日
というわけで「ファイルづくり」をしないとなあ。結局できていない。
そんな中、来年度の手帳を始動。
これの4月始まりを。
「ほぼ日」はやっぱり自分にとってはダメで、本と持ち歩くと重くてやっていられなかったり、学校のこと書くと持ち出し難くなったりで失敗。
あっちこっちも忘れちゃうからダメ。
ただ、今年分かったのが、教師の仕事は週案だけではできないのに、週案しか見ていなかったということ。週案ばっかり見ている。そうなると、自転車操業になる。
ノート型のマンスリーにしたことで、
- 軽い
- 見通せる
- 持ち歩けるからログがつけやすい
- 一年間の研修なんかのメモは一冊に集約できそう(一年間で薄いおまけでついてきたノート一冊で事足りたため)
一年間を薄い一冊にまとめられそうなので嬉しい。
そして、この仕事の闇は「自分の仕事が分かっていないということだ」と分かった。だから、せめて、分かっている仕事は先取る。二週間前に取り掛かることを目指して頑張る。
カバーも手に入れたのだけれど、それはまたどこかで。
【在り方】
今年、うまくいった理由と、自分の在りたい在り方と、その打破について。
もちたい「志」は、
- とことん自己保身を抑えろ
- 聴き出せる人に徹しろ
- 自分の正当化をやめろ
そして、王道を大切にすることで、自分を打破したい。つまり、
- よくあるパターンに流れろ
と思う。
『アンチ整理術』
電車で読んでいる人がいた。私は整理術を読んでいた。
なんにでも、アンチはあり得る。すべての人を補完する法則はない。
時数への焦りがたまらなくある。それでも、
- 大体なんとかなる
- 今年はかなり余計なことに時間を割いていた
だから、今年が乗り越えられると、来年からは心にゆとりをもてそうだなあ。
そして、取り組んだことに対して、いちいちそのアンチに対応しない。わざわざ対応しない。
ふと、辛い時に、大学で先生から聞いた言葉が浮かぶことに気がついたからメモ。
【大学で教わったこと】
- 人間を高めていくことにいるのは読書量
- 自分のしたいことを形にしていくには、ある程度で合わない他者への時間を減らす
- 私は「これからね」ということ
これで、前に進んで行こう
そして、また来年度に向けて、自分なりの正解や芯を言語化していこう。私は、心とかそっちに全フリしてしまっているから、言語しないと伝わっていないことが多いだろうなあ。
【やりたいことや気になったこと】
- 土日のNPOとしての動き
- 特別支援教育士
- もうノウハウは終わる。ノウハウは通用しなくなるし、常に超えていかないとならなくなる。セーブデータに意味はなく。もう少し言うとその時によって意味をもてるセーブデータと意味をもてないセーブデータがある。どれを適用するかが、計算される必要がある。それが、AIに委ねられるかもしれない。為替がそうだなあ。不安がそうだなあ。読めないんだよなあ結局は。そういう世界とか、そういう経済とかにいるんだって実感がある。そんな中で人が何を織りなしているのか。何を織り成していきたいのか。そういうのを気にしたいわけだ。
金曜日
昨日くらいから憂鬱だなあ、と思っている。学期末に向けた業務のせいだろうか。単に花粉かもしれない。
【悪習と思うこと】
- 間違いを指摘する
- 他の人を気にかけない
そうすると、そういう子が育つ。それもそうだし、学級崩壊は学年が原因だとも思うなあ。そう実感して学んだ。私は、率先垂範で、ひたむきに自分をやっていこう。人間らしい方でいたい。大人を嘲笑したくなることも分からなくない。その根源みたいな人の中には、他者がいないのではないかなんて話題になるが、その人の中にも「自分という他者」は存在している。自分が嫌な目に合うのは嫌なのだ。それと誰かを重ねられたらいいのに。
【回想】
私は言葉と人を分離し過ぎていた。誰が言うかより、何を言うかを気にしていた。ただ、それは、周りとは別ルールなので、私は勘違いして少し生きづらいのかもしれない。
【文集を書くのにいる力】
- 消しゴム力
- 漢字
- 話し言葉と書き言葉
土曜日
お宮参りに行ってきた。ピヨ子が可愛すぎる。
またダンドリ術から。
- 認識はその場で合わせる
- 会議の目的をメール
- 仕事の全体像を見通す
- 逆算の発想でいるものを考える(THE段取り)
【学級経営での心模様と戦略について】
戦略っていうのは「いつ」がいる。源義経的に。「いつ」が解決を生む。一年を通じて。迎合せず。よく見ていれば、見方は尽きない。一面的で詰まるってこともない。多様な見方の中から、生める解決を生む。止めるではなく。
日曜日
来年度意識したい力の一つを思いついた。
- 立ち止まって考える力
喋り方と刺さり方について。喋り方によって刺さり方は当然変わるだろう。あまり気にしなかった。ただ、言葉を並べていた。ただ、ジャパネットの人が上手になったなあと思って、きっと毎回振り返って地道に改善しているのだろうなあと思った。「だから」を癖のある調子でいっていたけど、個人的には訴求感がなかった。ただ、そこは詰め寄らないことが、嫌に感じさせないとかいろいろあんだろうな。
【回想】
教育長の面接で、今年何を学んだか、と聞かれたことをもう半月ほど反芻している。うまく答えられなかったと思っていて、「待つ」ということと言った。しかし、その時頭にはお世話になった先輩の顔が浮かんでいた。「待つは大事」と。「待つは大事」自体は自分の言葉なような気もする……あれ?
本当は何を言いたかったんだろうなあ、と思って分かったのは、「待つ」っていうのは、何もせず、時間をやり過ごすというわけではなく、「備える」や「立ち止まって必死にそのことについて考えを巡らせる」ということを伝えたかった。
負担感のある仕事の「重み」は、ほんの少しずつでもいいから取り除くといい。「全体像」が見えないからこそ!「見える仕事」は、分かっているうちにやるわけだ。平は、イレギュラーの仕事に巻き込まれすぎるんだよなあ。
【未来に対して】
この先の未来は、適当なスキルよりは、楽しいと思えるものに出会えるかが鍵。
【やりたいこと】
すんごいどうでもいいんだけど、「演劇」への憧れがあるなあ。
やばい、結構時間がかかってしまった。
60分くらいやってないか、これ。うーん。
考えないとなあ。
その日その日にやって10分くらいか。
なるほどなあ。やはり、帰りの電車か。