かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

週次レビュー|2/29〜3/7

改めて週次レビューの3回目。

www.happypenguin.net

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『はじめてのGTDストレスフリーの整理術』に「週次レビューとは?」が記されてる。

週次レビューとは、簡単に言ってしまえば頭を再び空っぽにするための作業だ。ここでは、ワークフロー管理の一連ののステップを再度行うことになる。すなわち、現在あなたがかかわっているすべてのことを収集・処理し、整理して、レビューするわけだ。それが済んで初めて、「できていないことはすべて把握できているし、その気になった時には実行できる」という確信をもつことができる。

P201

はじめてのGTD ストレスフリーの整理術

はじめてのGTD ストレスフリーの整理術

 

 

土曜日

テレビを見ていて気になったこと。

ja.wfp.org

 

【今年度もっとどんな姿が見たかったか】

  • 真剣でいること
  • 他人の幸せを願えること

これは、ブーメランで、自分のことなのかもしれない。

もっと真剣に。もっと他人の幸せを願って。

 

自分の自治体に土日に初等教育資料を見られる場所がなくてげんなり。

隣の市はあるのに!!

 

2020年度に気をつけたいこと「その1」。

結局、授業は、山本五十六の言葉なんじゃね?と改めて思って。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」

これも気をつけてみよう。

  1. 見せる
  2. 聞かせる
  3. させる
  4. 賞賛する

 

家庭学習のcmがやたらと目に止まる。幼児からのタッチ!みたいな。

幼児は、さすがになあ。タッチより、指先を使って実物に触れた体験がいいような気がする。つみきの問題とかさ。

 

この辺から書類整理に頭が移行した。

 

日曜日

35歳の誕生日。

 

祝電をやらねば。これまでの祝電の検索に追われる。あれCDに入れたかな。ない。

あー。(一昨日くらいに見つかった)

 

コンビニのレジ脇を見て、キットカットに励ましの言葉が書かれているのを見つけた。営業をやっているときに、水とかにそういうちょっとした励みになる言葉が書いてありゃいいのにと思っていた。

ただ、いざ見てみると、こんなのに励まされなきゃ動けないぐらい世の中は疲弊しているのか、と思ってしまった。誰も誰にも見向きもしないから、キットカットが励ましているわけである。レジ横で、ふと。誰かに渡す用で「私からあなたに」という意味が加わるのかもしれないけれど。自分で食べると虚しい感じになりそうだ。

 受験生応援のかもしれないなあ。ビターだったから大人用かと思ってしまった。

 

でも、今のお疲れ社会のキーワードだろうなあ。

「プチモチベート」

子どももこれがないと動けなくなってきているような気がする。そもそもそういうものなのかもしれないけど。だから、注意だけの学級は全然子どもが動けるようにならない。

 

「伴走者」としての教師の在り方をまた意識しながら学級をやっていこう。

 これも読みたい。

学校とゆるやかに伴走するということ

学校とゆるやかに伴走するということ

  • 作者:石川 晋
  • 発売日: 2019/07/24
  • メディア: 単行本
 

 

 

自分の在り方に自信を失った最終日だったけれど、それこそセーブポイント的な他者に助けられて、どうしたって、自分は自分でいることが最大限子どもたちのためになるのではないか、と考え直した。自分の信じた在り方で在ることが、ここまできたら大事になってくると思った。自分は成長がないとか、変わらないとかって思いがちだけど、定点ってわけじゃないんだよな。星の巡りのように動いている。何にも変わらないようでね。北極星にも変化はあるはずなんだ。

 

月曜日

朝一、ささやかなプレゼントをもらったー。

 それ以外はない。図工。

 

火曜日

この日も図工。

 

感情労働が過ぎる時代に突入している。それがハウツー化していて、自分の感情をコントロールできることが価値。いわば「ストレス耐性」とも言える。あらゆる出来事をプラスに捉えて、次のステップにできるかどうか。それを子どもにも促していくとなると、どんどん人間であることから離れていってしまうように思う。

ギャーと泣いたり、うおーっと怒ったりは、迷惑だからいけないってことになるのだろうか。パフォーマンスが下がるからダメって話になってくるのだろうか。

 

それが、ダメってわけではなくて、表出はいい。けれど、次につなげようってアプロ―チになっていくのかな。実際「ストレス耐性」が高い方が、生きやすい時代になってきているように思うので、なおさら「身に着けさせる」って方に頭が傾いてしまいそうでこわい。リフレームする力とかね。学校での児童指導が未来で生きやすくなるためのライフハック的な感じになってるので合っていんだろうか。どうしても「感じること」にフォーカスしたい自分もいるからドギマギする。

 

「感情労働」についてもう一度見たい。

 

教師とは、決定者である。だから、決めておくことが大切。曖昧ではならない。どうしてもポジションに児童との差があるからか、曖昧はダメって感じになる。当たり前だろうけど。今回は見通しが悪くて、潔く決定できない場面も多かったと思った。「私は」より「他のクラスは」で比較されてしまう立場だったので苦しかった。どうやっても負け試合になるような印象だった。

 

2020年度に気をけたいこと「その2」。

  • 言葉少なに。端的に語る。

苦手分野だけども。うるさくって、分かりにくいやつになりたくない。

分かりにくい人間ではあるから仕方ないのかもしれないが、そこから脱したい。

人間の分かりにくさって何なんだろうか。まったく。

分かりやすい人間になれるか考えながら意識してやっていこう。

 

一番が「腹を決めました!」とかっこいいことを言った。一晩経って、そう言えるのはすごい。考え続けたり、誰かを思い続けたから出る言葉だと思った。そうなりたいものだ。

 

主任にダメ出しをされた。有り難く受け取ること。迷惑をかけたからだろうと思う。申し訳ない。この本を見た後だったから、ダメージが上乗せだった。

必ずクラスを立て直す教師の回復術!

必ずクラスを立て直す教師の回復術!

  • 作者:野中 信行
  • 発売日: 2012/08/08
  • メディア: 単行本
 

 私の教室は去年も今年も荒れていたのかもしれない。 

 

予防接種に行った。ピヨ子さんをギュッとした。彼女が辛いときに護れる人でいたいよなあ。

 

水曜日

【決意表明】
やっぱり、目の前の子ども達の姿は自分だとして、見つめ直さないといけないな。
「文句ばっかり」。それは、私なのだろうと思う。
口に出さないまでも、心内の声。だから、不満を減らそう。
減らしていこう。

自分の人生を疑うのをやめるんだ!!

自分の中にある「すごい」を断捨離しまくりたい。

そういう傲慢さを失いたいんだ。

 

【彼らを見て思う事=鏡】

  • 見て欲しがり
  • 文句ばっかり
  • もっと自分でいていい
  • 素直でいていい

 

【大空の木村先生の書いたものを見ていて書かれていたこと】

「問題が起こってもらわないと困る」、そうでなければ学校はいらない。失敗のないようにする準備は無限である。不可能である。それを乗り越えられる力がいる。「その辺でいいんじゃない?」って人がいる。

 

木曜日

【朝からピヨ子さんへ】
家族で疲れてはダメだ
ピヨ子さんも疲れている
後回しにしない
自分ごとで考えろ!
お風呂二日入れず朝なんてサイテー
十分我慢している

赤ちゃんは妥協しない
赤ちゃんは疑いがない
信じて泣き続ける

むしろ妥協してくれていて、せめてそれがほしいのかもしれない

ピヨ子ちゃんは、親に温かくしてもらうしかない
寂しい思いをさせないように

 

【心の成長】

道徳性の一番最初が「相手が嫌がることをしない」なのだけれど、それって成長のハードルとして、低いかもしれないと思った。だから「自分がされて嫌なことは相手にもしない」の方が、成長に向けた指針になり得る。字通りに受け取る子に「相手の嫌がることは・・・・・・」は、通じにくいと思うのだけれど、それを考えられるように、討ち続ける必要はあるだろうなあ。

自分がされて嫌なことは相手にもしないができる子は、心が育っているんだ
そもそもそうしないと、相手が嫌かも分からないんだ。だから、それを考えさせることが大切になる。窮地にいる子は、なかなか考えられないけれど。そもそも自分がどうなってもいいくらいに下がっているときつい。ただ、そういう子がそう思えるようになっていくためにも、その言葉かけがいる。大空の唯一の決まりがそれなのにやけに納得した。

 

お昼は早退する。

 

金曜日

自分は痛みを聴き入れるが下手ではないと思っていたのだけれど、そういう役割を学校では演じられなかったのではないか、と振り返ってみた。

 

なぜか。痛みが聞こえない。それは、周りもそうだろうと思った。つまり、痛めつけてしまっていることに気がつかない。ああ、もしかしたら、それは自分が痛いからかな。と思った。

子どもたちも痛みを帯びている。だから、よその痛みが分からない。

自分が痛いときに、他人の痛みを気遣うのは簡単ではなくなってしまう。

そう思うと、自分の痛みに無頓着で誰かの痛みを察知して動ける人で在りたいと思う。

ただ、その時に自分の痛みに向き合うことも、いつかの誰かの痛みにとっては有用だろうから、許そう。いろいろ許すしかないとも思った。

私は自分の痛みを感じて。その痛みをいつかの誰かのために生かそう。と思う。

分かっているから、気がつけることってあると思うんだ。

 

【13歳のハローワークビューアー】 

面白いものを見つけた。「13歳のハローワーク」って進化していってたのだなあ。

www.13hw.com

  

土曜日

ちょっとした働きづらさは、その時最悪と思っても喉元すぎればで忘れがちなのだけど、本当に一つ一つ変なところをよくしていかないと、って思う。そういえば、図工準備室が廊下から開かないんだよな。これ直そう。

 

【見たテレビ】

午前中にこの番組を目にした。

www.fujitv.co.jp

目だった活躍のある素人の高校生を紹介するコーナーがあった。

それを見てこの番組を思い出した。

www.tv-asahi.co.jp

土曜日で休みなのでこの番組を目にすることが少なくない。

 

たまにこれを目にすることもあるし

www.fujitv.co.jp

これも先週見た。

www.fujitv.co.jp

 

どれも、素人であることと、個人の興味関心への注目という共通点がある。

素人への注目というのが、youtubeはじめ本当に浸透してきているのだなと感じる。

 

情報社会になって興味の追求が容易になったこと。

「世界に一つだけの花」が流行って15年後の世界ということ。

新自由主義の浸透など。

 

それで、感心が素人にいくだろうか。

 

好きなことを楽しめる人生は、みんなに保障されているのか気になった。

こうやって光の当たらない人は、まるで自分の人生には自分がいないみたいだ、と苦しんだりしちゃいないか気になった。

 

そうなると、そこで「時間の使い方こそが自分である」というようなことを思いはじめた。この本の影響が強い。

 

「"誰かに"使われている時間」よりも、「"自分が"使えている時間」が 多い方が、自分を生きている感覚は強いのではないか。「自分を生きている感覚?」と自分で言っていて不思議な感じがするが、そこに注目が集まっていると思う。自分を生きていて、その自分が注目されるということが現代の最大の価値になっているんじゃないだろうか。そして、そこに求心力があるから、広告がつく。当たり前なのだけれど、世の中は、世の中が価値があると思うことに、金が動くようにできている。

だから、経済とかパフォーマンスとか生産性って話になると、変だと思っても世の中の潮流に乗ることが正しいという風に見えることがよくあるのだと思う。でも、いつも立ち止まって自分の頭で考えないとよくない。その瞬間の価値のために子どもを育んでいるのではないはずだと思うんだ。「どの人間もいていい」のは、その方がお金にとって都合がいいからではない。ああ、要は、換金するから変なんなるんだな。

 

【夢】

自分のしたいことって言ったら、林先生の授業とか、灰谷さんみたいに書くとかってことだ。そしたら、そこにコストをかけていかないとだよなあ。それのように書けるようになるには、複写がいいなんて言うからやってみようかな。

 

今日ピヨ子と留守番の日。妻が寂しいって言うのがちょっと分かる。そして、謎の求められている感のプレッシャーも。ごめんね。


妻は結婚式に行っていたのだけれど、やっぱり教職に向いていないって思う人や、鬱になってやめる人もいるという話を聞いてきたそうだ。「うーん。そう思うと向いているのかな、と思う」、辛い環境だったとしても、そこまでではないものなあ。そんなこともないか? 今年度、一回医者に行きたいってときもあったか。自分の思考の流れが恐かったんだよね。疑心暗鬼と四面楚歌で。そこから抜け出せなそうな感覚があって恐かった。自分は一人だと究極的に思ってしまうというような。まあ、一つそういうメモリを手に入れられたから良かったけど。来年も気をつけようー。自己観察。モニタリングしながら楽しんでいきたいわよ。