かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

126|水曜日だったけれど

特段、目につくこともなく終えたかな。子どもたちはよく頑張っているのだと思います。

 

問題といえば、教室に日に一回ほどハエが入ってくるということくらい。なんだろうなあ。なんでもないと思うのだけれど入ってきます。

 

漢字を丁寧に書いていたなあ。

外でもよく遊んだなあ。

 

昨日まで気にしていた、非日常との対峙もうまくいっていたみたいだ。今日も一緒に遊べたのでよかった。

乗り越えてくれているのではないだろうか。

 

優しくされていない人は優しくなれない。大切にされていない人は大切にできない。大人にも子どもにも、余裕がある。余裕がない対応はされた人は、その連鎖反応で、余裕のない対応の連鎖が起こる。ああ、きつい。最悪である。

 

起きていないことをあれこれと推測せず、愚直に向き合っていく。いちいち感情を揺らしてふりまわされないようにする。そういうのが大切だと思う。彼らの希望は、まだまだこの先成長するってことだ。心配しない。心配いらない。信じて、一つずつでも手を施して、「何か」を変えながらやっていく。

 

ブラーフの学術大会が始まっていた。今年はオンラインで動画を見て学べるということで、早速申し込まねば。

 

1ヶ月なら間は、ブリーフの学びに浸れる。きちんと浸かろう。楽しみ。

 

隣は、とても怒っている声がした。少し気になる。疲弊しているはずである。問題は、というか、大切なのは、私がいるからではなく、頭を使って考えて行動してもらうことだ。それは、「趣意説明」次第ってのもあるのかもしれないけれど、説明しつつ、考えさせつつで、やっていかないとな。うまくいかないことについては、諦めつつ、横に流しつつ、まあどこかで取り上げつつ。そうやって、ゆったりやっていけばいいのだろうなあ。