かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

128|「やってないよ」

非日常についてのつづき。

 

「やってないよ」って。

その一言に、「ああ、やっぱり、なんて信頼できるのだろう、この子は」と思ってしまった。

 

とてもいい目をしているし(だからどうした)、物事をよく見極めている子だわ。大切にしたい子。初日からそう思ったなあ。それは、少し脆さを感じてだと思う。

 

いろいろと受け入れながら突き進むスタイルは、良くも悪くも「その個」を映し出すように思う。

 

 

朝。

金曜の出だしはごちゃついていたなあ。

ミルトンエリクソン然りで、煽ってみた。

「皆さんは静かにすることも、喋り続けることもできます。姿勢を良くすることも、姿勢を悪くすることもできます。自分のことは自分で選ぶことができるのです。金曜日だからって力を使わないこともできるし、金曜日だから最後と思って頑張ろうとすることもできます。」

 

そんなことを言って、1時間目に突入した。

国語の読みを楽しむ。

読み方を話し合ってから読むと、読み方はよくなるとのこと。そう認識できたならとりあえずOKかな。

 

朝や帰りの支度に課題のある子がいる。10月にその手立てを考える脳みそをなかなか使い難いと思ってしまうのだけれど。なんとかしてあげたいところ。

 

発達がゆるやかなのか、発達に凹凸があるのかで、見立てた手立てが変わってくるかと思うのだけれど、改めて学ぶしかないなあ。とりあえず、定石でスモールステップだろうか。そんなに張り付いてもいられないからなあ。いっそ、床置きか。

 

相手がうまくできないのは、スモールステップの教え方ができていないということです。そう、叱られるべきなのは、スモールステップをうまく指示できなかった、教える人のほうなのです。

 

いちばんやさしい教える技術

いちばんやさしい教える技術

 

より

以後気をつけます。