かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

【収穫の年】今年は収穫の年だった

収穫の年

今年は収穫の年だった。数秘術で「8」だったという意味です。

 

にもかかわらず、何も得られず、先々週には自分は仕事に向いていないと思い、悶えた。

 

しかし、先週で世界は一変した。どの日も楽しかった。

 

特段、研究授業を納得のいく形で終えられたというのがある。

リップサービスとはいえ、いろいろ形容してほめてもいただいた。

「子どもたちを包む」「受け容れている」「寄り添う」などなど。

 

「ハピペンの子どもとの接し方は、誰にも真似できない」と言われた。

「まあ、それは、誰に対してでも言えることだ」と妻は言った。私もまったく同じことを思った。誰も誰の真似はできず、自分として子どもにかかわっている。誰も誰かの真似はできない。

 

嬉しかったのは、そう見えるほど、自分として振る舞いを選択して子どもと接することができているのだな、と思えたことだった。厳密には違うのかもしれないけれど、誰かのコピーではない自分が自分として在るのだな、ということが嬉しい感じがした。

 

もう「他者に誉められる強み」を自分の強みとして受け入れようと思えた。

良いと感じられるときを良いと受け取ろうと思えた。

自分についてのネガティヴな予測も観測も、そういう類の勘ぐりをやめようと思えた。

 

そして、私は、なりたい自分になっていると思えた。

そして、それは、なれない自分ではなく、なれる自分を選んでここまで歩んできたという事実でもあった。私は、「なりたい、かつ、なれるもの」を選んで歩んでいたのだった。

 

たとえば、2017年には、自分は「何者」なのかということに喘いでいたのだけど、方向性はあった。そして、今分かることは、「何者なのか」ということは、つまらない言葉で言えば、「どういう見方・考え方をする(してしまう)人間」なのか、また、「どういう見方・考え方ができるのか」ということだ。

言ったように方向性はあった。つまり、「どういう見方・考え方がしたいのか」は、漠然とふわっと、なんとなくあったのだ。

 

これも、今なら分かることだけれど、目的地は「インクルーシブ教育」だったのだと思う。どうすれば、「抑圧」と「排除」のない(これもまた、まだまだ私の主観や知識におけるものでしかないところがあるが)、子どもが居る空間が出来上がるのか、ということだ。

 

そのために、いくつか気になっている分野やなんかがあった。

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あれじゃない、これじゃないとやっていたのだけれど、やっぱりDAFLのおかげで、「いや、これまでやってきたことをちゃんとやろう!」という思いに至った。そして、ブリーフセラピストの資格試験も受けて無事合格できたのだ。より自分が何者かを仮固定できるようになった。

 

まとめると、目的地のシンボルは「みんなの学校」だった。そこに向かうために私が必要だと考えた「見方・考え方」が「ブリーフセラピー」だった。たとえば、個人のせいにせずに、関係(やシステム)で物事を見て働きかけをするということだ。この周辺に「特別支援教育」もあった。障害の見方が医療モデルから社会モデルへ移っていることを特に重要視していたし、どう環境に働きかけることでその子が生きやすくなるのかということに関心を払えた。

 

ルーツは学童の子どもたちだ

そして、すべてはある子どもの一言から始まっているのだった。

それは、2012年に「なんでハピペンはいつも怒っているの?」という言葉だった。

今の私のルーツに学童での子どもの言葉があるのだな、と改めて思わされる。

 

2009年には「怒りでは、本当に変えたい他者は何も変わらない」と理解し、「一生怒らない宣言をした」(まあ、それは無理な話だけど。当時バンドのボーカルには、それは人間らしくなくて嫌だと言い合いになった。実際、怒らないわけでもないだろうということで、及第点を得たけど)。

他にも、また別のバンドでベースに殴られたこともあった。お酒のせいもあったに違いない一件だけど。やはり、むやみやたらな怒りとはなんともいえないものだな、と思う。しかし、それをきっかけに教師になろうと決めたので、全面に否定できるものではない。

 

2012年には、ドラえもんの映画で「もしもボックス」にフォーカスが当たる年でもあった。私は、また別のある子に「もしもボックスがあったらどんな世界にしたい?」と聞いたら、「怒られない世界」と言われたのも衝撃だった。魔法が使えるとか恐竜に会えるとかそういうのではないのだ。

 

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この4割を気にしても仕方ないが。

 

今振り返ると、「怒り」について、感度が高かったのが分かる。

そう「私はずっと何かに怒っていたのだ」と思う。

 

そうして、2017年のDAFLにつながる。

その怒りは、対父なようであって、それもあるだろうが「自分への『抑圧』と『排除』だろう」とした。今も、もうそれでよいと思っている。

 

そして、賛否両論あるだろうが、私は「インクルーシブ」な立場を取ること。そこから、生み出し、練り出される子どもとのかかわりが育めるものや、救いや、正義や相応しさがあると思っているので、しばらくはそれでやっていく。そう決めた。多様性の時代に絶対解はない。だから、絶対解を探すほど自分を見失う。大切なのは、この辺りに関しては「自分が何を心地よいと思うか」が大切である。その「快」を増幅できるであろうという「仮の立場を取る」、と決めることが、自分を空中分解させないことにつながると思う。

 

そして、2020年。収穫の歳。先々週までは、まったくもって不作だと思っていたのだが、大収穫だった。

 

私は「したい見方・考え方」が少しできるような、そこに向かっていけているような人になれている。真に心からそう思えるようなできるような人になれたのだな、と思う。私は「みんなの学校」にあるような「見方・考え方」をして子どもとかかわることができているようである。それには、「ブリーフセラピー」の「見方・考え方」が大変に力を貸してくれているし、「アドラー心理学」の「見方・考え方」も大いに手伝ってくれている。学校という特殊な文脈における「見方・考え方」と人間についての「見方・考え方」ができたのだと思う。

 

そして、自分がしたい見方・考え方ができるということが、そのまま自分が何者であるかの答えなのである。それは、自分を自分として融通を利かせられるということである。自分が少しは意味不明なものではないという安心感。多少、自己統合がされたというような状態。それが、大変心地よいのである。

 

「ああ、大収穫じゃないか。」と。

がまくんの「ああ、とてもいいお手紙だ。」ばりに感情を込めて言いたい気分だ。

 

今朝のリツイートの話

2005年の学生時代にも同級生に「いつも怒っている印象」と言われた。そこでは、「怒ってなぁいよっ」という文字では伝わらないだろうけど、ギャグというかジェスチャーが生まれた。語気が強くなったときには、それをやるという決まりになった。

 

そして、今朝、こんなツイートをリツイートをしている。

 

私は、結局、「誰かに気軽に気兼ねなく話しかけられたいのだ」と思う。

そして、それを邪魔するのが、「気軽に気兼ねなく話しかけられなかった父」なのだ。そして、それへのピュアな幼心にあった憧れが二重に邪魔していたのだ。

言い過ぎれば、私は「怒りで父らしさ」を演じていた(インストールしていた)のかもしれない。それは、その「気軽に気兼ねなく話しかけられなかった父」をやることで、それを受け入れられることを求めて演出し、それが叶うことで、要は、他者が「気軽に話しかけられなかった父を模す私に話しかけられること」で、自分が話しかけられなかった痛みを、私を受け入れて私に話しかけてくれたことを同一視して癒すことを目的としていたのかもしれない。私は父への同一視と私の思いを他者に投影して同一視することのイタチごっこを延々と繰り返していたのだった。

 

これこそ、まさにブリーフでいう「解決が問題である」の典型であった。

自分が成就したいことを自分で成就できていない、かつ、成就するための自分が自分でなくなっているのだから、そりゃ延々と自分が自分でない感じがするとか、自分が何者か分からないとか、浮遊感があるのは当たり前じゃないか、と今は思える。

 

私は、第一に「父をアンインストールする必要があった」

もしくは、ソフトの起動を停止するというか、そういうことが必要だった。

それには、父をバックグラウンドにするというか、全画面を私にするというか、「私を誰かに聞いてもらう」必要があった。言えるということは、癒えるというようなことのやつ。言えないことは癒えない。言える場が必要って話でもある。

そして、これには、本当にDAFLで、自分を振り返って、痛みを吐露できたのが大きかったな。それに、涙が出そうになったと言ってもらったのも大きかった。「そうだよな、これは悲しい経験なんだよな。私は悲しんでいいんだよな。」と本当に癒された。

 

感じのいい人になりたいものだなあ。

 

次のステージ

次のステージだな。次のステージだ。

あとは、「授業がもう少しマシになりたい」。そこに投資していないわけではないけれど、まだいくらでも頑張りがいる。授業がつくれて、授業がよくなると、もうちょっとまともなマシな先生になれると思う。

 

教員生活を始めたころに思った、「好きなことをしているだけで勝手に毎月お金が振り込まれている」と思えるような感覚にまたなりたいし、そういう感覚で仕事をしていたいし、していきたい。私は、それなりに子どもが好きで仕事を始めたときは、そういう気持ちだった。まったく忙殺されてしまったのだな。もっと小学校の先生を楽しみたい気持ちだ。

 

あと、「てつがくたいわ」をやりたいわ。

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 バックミンスター・フラー

この記事は、『バックミンスター・フラーの宇宙学校』を読んでいてズバーンと書き始めることができた。やっぱり天才の言葉ってすげーんだなって思った。

わたしはとてもたくさんのことを学んできたが、それほど多くを知っているわけではない。だが、わたしが学んできたことは、試行錯誤から自分で学んだことだ。したがってわたしは、自分で確保した乏しい蓄積におおいなる信頼を寄せている。

P16

私は、フラーの一兆分の一も量的にも質的にも学んでいないだろうけど、自分を生かすため程度の学びとしては、フラーに似た信頼を抱いているかもしれないと思った。それは「信頼のおける自分になれた」ってことなのだと思う。すごいことだと思う。でも、なんとなくそういう感覚がある。

 

そして、このバックミンスター・フラーが気になったのは2016年のことだし、そもそも「宇宙船地球号」が気になったのは、それが流行った背景もあるだろうけど、小学3年生のときまでさかのぼるから驚く。人生とは地続きでつながって続いていて続いていくのである。

inclusive.hatenablog.jp

 

 

自分の人生がきちんとつながっていて何か一貫したヒントがあることを感じたり、それに気づいたりできると、とても安心感がある。美しいなとか、これでよかったんだとか、こっちで合ってたんだとか、私はここにあるべくしてあるのだな、と。生きてさえすれば、今日みたいにそういう日は訪れる。それは、一体なんのために生きているのかと困惑して頭が重くなって、年度一暗かったと思った日から、ほんの2週間後のことなのである。

inclusive.hatenablog.jp

 

BGMがちょうどこれだった。

生きてる間に生まれ変われ

迷わなことが、恐れないことが、間違わないことが、強さではない

UVEWORLD「OXYMORON」より

 

では、また☆